妻の熊子の誕生日である。


数日前、何か欲しいものはあるかと尋ねたら、「うちは家計が苦しいから何もいらない」としおらしい態度を見せた。


実際家計は苦しいので内心ほっとしたが、それとは裏腹に、というかむしろ安堵して気が緩んだためと言った方が正確かもしれない、思ってもいない言葉が口を突いた。


「1年に1度の誕生日じゃないか、遠慮しなくてもいいよ」


熊子がちらりと僕を一瞥した。


俯いたのは演技だろう。


「じゃあ化粧ポーチが、欲しいかな」


化粧ポーチなんてこれまで買った経験がないから、いくらくらいするか正確には知らないが、まあウエストポーチなどから類推して2~3千円程度、高くても1万円はしないのではないか。


それなら僕の小遣いでも何とかなりそうな気がしないでもない。


「分かった。じゃあ連休中に買いに行こう」


というわけで昨日、街へ買い物に行くことになった。


あらかた化粧を終えた熊子が聞こえよがしにぶつぶつ何かつぶやいている。


「うーん、化粧ポーチはやっぱりこれで十分かなぁ。別にどこか破けているというわけでもないし、気に入っていないわけでもないし……。それよりバッグがなぁ……うーん」


僕は若干のけぞりつつ彼女を凝視した。


熊子は目を合わせない。


「じゃあ、バッ…バッグ買えば?」


「いいの?」


「あー、いいよ」


「予算は?」


「ヨサン? 予算は……」


男だろっ。


頭の中で誰の声か判然としない声が響く。


「……ご……ご……ご……」


熊子が唾を飲むのが分かる。


「…ごめん、3万円」


「3万円?」


駄目なのか? きょうび3万円じゃ満足なバッグも買えないのか?


「いいの? そんなに。通勤用のバッグだから3万円もあれば十分」


胸を撫で下ろした。


すっかり上機嫌の熊子を助手席に乗せ、街へ向かう。


ところが途中から押し黙って難しい顔をしているので、「気分でも悪いの?」と聞くと、


「いや、ニンテンドーDSもいいかなって思って」


ハンドル操作を誤りそうになった。


「バッグとDS、両方は駄目……だよね?」


「すみません勘弁して下さい」


目を潤ませながら断った。


情けないことだが、自分の小遣いの範疇を超えている。






というわけでニンテンドーDSを買わされた。


西村京太郎サスペンスとシムシティのソフト、それに関連アイテムまで買って約3万円。


「バッグはホワイトデーでいいよ。あ、バレンタインデーでも構わないし。私もチョコあげようと思ってたし」


恐るべし。