それは、昨年の秋くらいのことでした。

 

母上から唐突に、「雛人形を捨てよう」と言われたんです。

 

言われた当初、何を言っているのか分かりませんでした。

 

 

私が生まれた時、母方の祖父母が私の為に7段飾りの雛人形を買ってくれました。

 

車に乗れない祖父母が、電車を乗り継いで人形屋に買いに行ってくれたと聞いています。

 

母方の祖父母から見たら、私は初孫(…正確に言うとちょっと違うけど、そういう事になっている←この辺りちょっと複雑)で、一緒に暮らしてはいませんでしたが、会いに行けば本当に可愛がってくれていました。

 

私も、そんな祖父母が買ってくれたお雛様が大好きで、毎年飾るのを楽しみにしていたのですが、人形の保管場所が、少々難ありな場所でした。

 

車庫の屋根裏みたいな場所が物置になっているのですが、そこには階段が無く、ハシゴをかけないと物の上げ下ろしが出来ないのです。

 

親も年を取り、その上げ下ろしが面倒になったので、動ける内にかさ張る雛人形を処分しようと思い立ったようでした。

 

 

その理屈は分かります。でも、私にとって雛人形は宝物で、処分すると言い出した時、親と口を効きたくなくなる程に嫌でした。

 

 

祖父母は私をとても可愛がってくれましたが、形見に残しておけるような物は、何一つ残してはくれませんでした。

 

子供の頃は浴衣を縫ってくれたりもしましたが、そんな物はもう残っていませんし、貴金属も何もありません。

 

数年前、叔父が脳出血で倒れてしまい、一人暮らしが出来なくなった時に、祖父母が住んでいた家も売ってしまいました。

 

だから、私と祖父母を繋ぐ物は、それこそ雛人形しかないんです。

 

それを捨てようというのが信じられなくて、私の物なのに、私の為に買って貰ったのに、親の都合で捨てられるのが悔しくて、暫くずっと泣いていました。

 

 

でも、昨年末、近所の神社でお祓いをして貰おうという話が出ました。

 

当然渋りましたが、取り敢えずお祓いはしよう。そして、一度人形の状態を確認して、取っておけるようなら、人形だけは取っておこうという話になりました。

 

 

そして年末、お祓いをして貰い、先週、一度人形の状態を確認してみました。

 

最初に開けた三人官女は、とても綺麗な状態で、ホッとしたのですが……肝心の女雛の着物が、湿気で痛み、保存するのには耐えられない状態でした。

 

本音を言えば、1体でもお人形を手元に置いておきたいとは思います。

 

でも、諦める事にしました。

 

お雛様が居なかったら、お内裏様が寂しいと思うし、主人が旅立つのに、従者達が共にいないなんて、そんなの、皆かわいそうです。

 

私が従者だったら、絶対、主に付いていきたいですもん。自分だけ残されるなんて、そんなの耐えられません。

 

 

だから、皆、手放すことにしました。

 

 

勿論、超寂しいです。

 

その時は、「ああ、痛んじゃってるね。もうダメだね」……なんて、平気な顔で言っていましたが、その日の夜、風呂場で1人号泣してました。

 

ぶっちゃけ、コレ書いてる今も、必死で涙堪えてます(苦笑)

 

自分を納得させる為に、ネットで色々調べました。

 

諸説あるみたいですが、雛人形は子供の厄除けの為の物で、成人したらその役目を終える…的なことを見かけました。

 

もしそれが本当ならば、これまで大きな怪我や病気をすることなく、無事に大人になれた時点で、人形たちの役目はまっとうしたということになります。

 

本当は今この瞬間も、人形を手放したくはないし、捨てたくなんてありません。

 

私の人形なのに、捨てるとかいう親の言っている意味も解んないし、別に引っ越しする訳でもなく、置いておく場所はあるのに、正直冗談じゃないです。

 

でも、もしホントに今もう既に人形たちは役目を終えていて、そんな人形たちの為に、私がいつまでもウジウジしていたら、天国にいる祖父母は悲しむんじゃないかな…とも思うんです。

 

だから、未だに人形の事を思うと、やっぱり涙が出るけれど、こうしてブログに書いて、気持ちに整理をつけようと思いました。

 

それがきっと、一番の祖父母孝行になるんじゃないかな…と。

 

それに、例えば東北の震災にあわれた方々からしてみれば、きちんとお祓いをしてあげれただけでも幸せだと思って…。

(自分を納得させるのに必死ですよ。はい…)

 

 

明後日か明々後日くらいに、町内のクリーンセンターに持って行こうと、さっき親父が話していました。

 

もう古い写真か、私の記憶の中にしか彼等の姿はありませんが、きっと何年経っても、私の雛人形は私の宝物です。