時刻は間もなく、夜中の0時を迎えようとする頃…。
シャイニング事務所に所属するタレント達が暮らすこの寮の廊下も、流石にしんと静まり返っていた。




「ふぅ…」




翔は1つ息を吐きながら、バッグの中から鍵を取り出し、自室の玄関を開ける。
玄関ドアを開けた瞬間、目の前には深い闇が広がっていて、それが何だか疲れを増長させる気がして、彼は更にもう1つ嘆息した。




今日は、午後から雑誌の取材が1件入っていた。

取材だけならサクッと終わると高をくくっていたのだが……前の取材が押しに押していたらしく、翔のもとに記者が訪れたのは、約束の時間から、優に4時間を過ぎた頃だった。

本来なら、改めて日程を組み直すところなのだが、原稿の締切が結構切羽詰っていたらしく、どうしても今日中に取材したいという記者サイドの申し出を、まだ新人アイドルである翔は断ることが出来ず、ただひたすら待ち続けることを余儀なくされたのであった。



…だが。


確かに待ちくたびれて、体は疲れているのだが、心にはそれほどの疲れは無い。

その証拠に、翔はパチンと部屋の照明を点けると、玄関先で靴を脱ぐよりも先に、ポケットにしまっていた携帯電話を取り出した。

そしてそのまま、右手の親指を器用に動かし、先程まで頭の中で考えていた文面を打ち込んでいく。

ざっと文面を読み返し、誤字脱字が無いことを簡単に確認すると、ほんの少しだけ緊張しながら、メールの送信ボタンを押した。




部屋に帰ったらメールが欲しい………それは夕方、春歌から来たメールの文面だった。

取材の予定が遅れ、一緒に夕飯を食べる事は恐らく難しいだろうと、記者を待ちながら翔が打ったメールに、春歌からそう返信が来た。




恐らく疲れて帰って来るであろう自分を気遣ってくれているんだと思い、翔は携帯のディスプレイに浮かぶ春歌からのメールに目を細めた。



だから、心配性の彼女を1分1秒でも早く安心させてやろうと、翔は靴を脱ぐよりも先に、玄関先で帰宅した旨のメールを打ったのである。





「これでよし…っと」





メールが無事送信されたことを確認し、ようやく靴を脱ごうと翔が自分の足元に手を掛けたその時……チリリリリン…と、来客を告げるベルが部屋に響いた。




「…え、客?こんな時間に誰だ?」




思わぬ来客に翔は首を捻りながら、直ぐ後ろにある玄関ドアを開ける。
そして、そのドアの向こう側にいた客人の姿に、彼は目を丸くした。





「え……春歌?」


「翔くん…遅い時間にごめんなさい」




そう言って、小さく頭を下げたのは……今さっき翔がメールを送った相手・春歌であった。



「どうした?何かあったのか??」




予期せぬ彼女の来訪に、翔は彼女に何事か起こったのかと心配して眉根を寄せた。

恋人である春歌には、好きな時に来ても良いと、部屋の合鍵も渡してある。

しかし、翔の事を思いやって、彼女は普段、むやみやたらに彼の部屋を訪れるということはしなかった。

そんな彼女が、こんな夜遅い時間に部屋を訪れたのだ。何かあったのかと思うのは当然である。





しかし、春歌は心配そうに自分を見つめる翔に「あ、そうではなくて…」と、首を横に振って見せると、左手の手首にはめた、細い腕時計の針に目を落とした。

そしてそのまま、彼女は針とにらめっこでもしているかのように、じっと時計を見つめたまま動かなくなった。





「え…春歌?」





そんな彼女に、翔は意味が分からないまま彼女の名を呼ぶ。
しかし、その呼呼び掛けに反応を示さない彼女に、翔はどうしたものかと考えを巡らせていると、何秒かの後、春歌の愛らしい眉がピクリと動いた。






「しょ…翔くん!!」



「はっハイ!?」






突然、春歌に大声で名前を呼ばれ、翔は反射的に返事をした。




「一体なに………っん!?!?」




そして次の瞬間、春歌の顔が目の前に迫ってきたかと思うと、柔らかな感触が口唇へと触れて来た。



「……!?……!?」



何事が起こったのか翔は直ぐに理解する事が出来ず、暫くの間、口唇の感触をただただ受け止める事しか出来なかった。
だがやがて、頬を真っ赤に染めながら、閉じた瞼と共に震えている春歌の長い睫毛を目の前で見て、翔は春歌からキスされたのだと、やっと頭で理解することが出来た。




「………っ」

「………ん…」




そうして重なり合っていた口唇は、春歌が体を離すことによって、その触れ合いを解いた。




「……………」

「あ………あの……ご、ごめんなさい!!」





突然の春歌からのキスに、翔は口唇が離れてからも、瞬きすらも忘れてしまったかの様に、ぼー…っと春歌の顔を見つめている。

一方春歌は、翔と目が合うや否や、ボッ!と煙でも立ちそうな勢いで顔中を真っ赤に染め上げると、口元を指先で隠す様にしながら翔に謝った。




そんな春歌に、翔はやっと呆けていた状態から立ち直ると、自分も頬を赤くしながら口を開いた。




「いや……謝る事じゃねーって。…むしろ、お前からキ……キスしてくれるとか……超嬉しいっていうか……」




付き合っている2人にとっては、キスは日常茶飯事……とはいかないまでも、愛情表現として良く用いられている。

しかし、奥手な彼女からというのは非常にレアで、自分からキスを仕掛けるよりも何倍もドキドキしている心臓を感じながら、翔は小声で素直な感想を零した。




「翔くん……喜んでもらえたんですか?」




翔の言葉に、春歌がおずおずと尋ねてくる。

そんな彼女に、翔は「お、おう」と素直に答えた。



その翔の答えに、春歌はパアアッ!と表情を明るく変えた。



「それなら良かった~。あの、実は………明日…あ、もう今日ですね。今日…6月9日は、翔君のお誕生日ですよね…? で、大好きな翔君に、何かサプライズでプレゼントをしようと、前々から思っていたんですが……なかなか、良いアイデアが浮かばなくて…。それに、誰よりも先に翔くんにおめでとうを言いたかったから、ちょっと頑張ってみようかな……って」



「春歌……」



思いがけない春歌のキスのワケに、翔は目を丸くした。




確かに、6月9日は、翔の誕生日である。



大好きな春歌から誕生日を祝って貰えたら……とは、常々思ってはいたのだが、まさか誕生日一番に、春歌からこんなサプライズが貰えるとは、流石に思ってもみなかった。


さっき彼女が腕時計とにらめっこしていたのは、どうやら日付が今日に変わるタイミングを見計らっていたかららしい。


ということは、今年の誕生日は、春歌とキスをしながら迎えた……ということのようだった。




「お前……普段、あんなにおとなしいくせに、たまにやる事が妙に大胆なんだよな~」




そう言いながら、翔はフワリと春歌の体を抱き寄せた。




「えっと…折角の翔くんのお誕生日なので……ちょっと頑張ってみました…」


翔の胸に抱き寄せられながら、春歌が少し恥ずかしそうに告白した。
こんな大胆なサプライズ、もしかしたらレンや渋谷あたりの入れ知恵かもしれない。
でも、例えどうであれ、奥手な彼女の事だ。実際に実行に移すには、相当の勇気が必要だったに違いない。

翔にとって、その彼女の頑張りこそが何よりも嬉しい事であった。





「翔くん…お誕生日、おめでとうございます」

「有り難う、春歌…」




全身に彼女の体温を感じながら、翔はそっとお礼の言葉を言った。







きっと人一倍、生き抜くことが大変だった翔にとって、これまで生きて来られたことを祝う誕生日は、彼なりに特別な日であると毎年思っていた。



でも、春歌に出会って、その特別に、もう1つ意味が加わった。




来年も、再来年も……彼女と一緒にこの日を祝いたい。


その為にも、今を、毎日を全力で生きる!


それは、彼女と想いを通わせるようになってから、誕生日を迎える毎に翔が心に立てる誓いであった。






「今日、仕事オフだからさ、2人でどっか出かけような。朝になったら、起こしに来てくれるか?」


「はい。朝ご飯が出来たら、お部屋に起こしに行きますね。そして改めて『おはよう』と『おめでとう』って言いますから」





抱き合ったまま交わす小さな約束は、翔の気持ちを温かく満たしてくれる。

今日は最高に誕生日になる…。
そんな確信を胸に感じて、翔はニカッと笑ってみせた。




fin



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かなり焦って書いたので、後で修正するかも(←っていうか、したい)ですが、
とにかく、翔ちゃん、お誕生日おめでとう~♪
薫くんと、なっちゃんのお話まで手が出せなくて、残念でしたが、
翔ちゃんだけでも書けて良かった!