私が同志社大学工学部を卒業して、半世紀近くになります。

 

特に理由もないのですが、卒業後母校を訪れた事が一度もありません。

 

同志社大学の今出川キャンパスは、ある意味公園の様に落ち着いて散策できる所です。

 

私は、終活の一つとして、ここへ行く事を決めていました。

 

そして、先日の日曜日、所用で京都に行く事になり、空いている午前中に大学を訪れる事にしました。

 

 

訪れた2月18日は、大学が英検の試験会場になっていて、色々な人が今出川キャンパスにいらしていました。

 

通常の日曜日なら、人通りは少なく、ゆっくりぶらつけるだろうと思っていましたが、当てが外れました。

 

でも、試験だから騒がしくなく良かったです。

 

久しぶりに訪れた同志社は記憶と違い、こじんまりしていました。

 

7年ほど前に、近畿大学で国際関係論の講義を受講した際、そのキャンパスの広さに驚いたものですが、考えてみれば比較的新しい大学と、来年建学150年を迎える大学の違いもあるのでしょう。

 

要するに、古くて狭いと言う事でしょう。

 

さて、私が通学していた頃には存在していなかった、地下鉄烏丸線で今出川駅を降りると、久しぶりの烏丸今出川の交差点に出ました。

 

そして、西門から今出川キャンパスに入ろうとしたら、入ってすぐの右側にあった大学図書館が建て替え工事をしていました。

 

烏丸通から見ています

 

私が入学した頃にできた、綺麗で蔵書数も大学一(当時・うろ覚え・違うかも)だった図書館を、もう立て替えなんて。

 

さて、今出川キャンパスには、多くの重要文化財があります。

 

門を入って直ぐの左側にあるのが「彰栄館[重要文化財]」です。

 

                                                                                                                          

彰栄館[重要文化財]

 

同志社大学の校舎には、○○館という名前がついています。

 

一般的な大学では、○○学部○号館というのが多いですが、同志社大学はそれぞれの校舎に名前があります。

 

さて、東に向かって進むと、左手に「チャペル[重要文化財]」があります。

 

 

チャペル[重要文化財]

 

 

チャペル[重要文化財]横から見た所

 

 

記憶にある通りの美しさです。

 

そして、昔はチャペルの北側にあった同志社小学校(中学校だったかも)が全てなくなり「良心館」なる校舎が建っていました。

 

 

何という名前を付けるのか、理解に苦しむ「良心館」でした。

 

良心館

 

 

気を取り直してもう少し東に進むと、左手に「ハリス理化学館[重要文化財]」が見えてきます。

 

ハリス理化学館[重要文化財] 全体像を撮ったものがありませんでした

 

 

例によって記憶が曖昧ですが、当時の工学部の学部事務室は、この中にあった記憶があります。

 

(蛇足ですが、同志社大学の工学部は、その後理工学部となり京田辺キャンパスに移転しています)。

 

ここを北に曲がり、「至誠館」と「扶桑館」の間を通り抜け、そのまま進むと、昔は工学部の実習棟である「工武館」があった所が、駐輪場に変身していました。

 

正面は通路で、右手の方が駐輪場です。

 

工武館跡地 今は駐輪場

 

 

工武館で、竹内研究室(燃焼・内燃機関)での、卒業研究をした事が、「忘れたくても思い出せません」。

 

まぁ、殆どバラックの様な校舎だったので、残っている筈もありません。

 

竹内先生が三菱自動車から貰ってきた、新品の1600cc4気筒エンジンがありました。

 

三菱自動車の社員の方で竹内研のOBの方が、博士号をとるために院生と共同研究をされていた事を思い出しました。

 

そして、その北側に見えるのが、当時は工学部の教授方の部屋があった「博遠館(はくえんかん)」です。

 

 

博遠館

 

今出川キャンパスの中では、少し感じの違う校舎です。(赤レンガ風の感じが少ない)

 

その日は小雨でしたが、雨宿りをしながら少しの間、私の担当教官の故・竹内貴一郎先生の事を思い出していました。

 

25歳で博士号をとられた、俊英でした。

 

さて、気を取り直して、雨が止みかけたキャンパスをめぐります。

 

旧工学部のあたりから、同志社通りに戻ると、突き当りが「明徳館」。

 

 

明徳館

 

古い校舎で、1951年竣工、昔は地下に学生食堂があり、格安で美味しい定食が食べられました。

 

今はどうなっているのでしょうか。

 

閉まっていて入れません。

 

地下にコンビニはあるみたいです。

 

ここで、一旦烏丸通に出て、以前の学生会館を探しました。

 

すると今は、同志社法科大学院に代わっていました。

 

 

同志社法科大学院

 

 

学生会館は新町キャンパスにあるようなので、行ってみます。

 

新町キャンパスに行く道は、うろ覚えでしたが、何とかたどり着きました。

 

 

新町キャンパス

 

 

しかし、当日はどこかの入試会場になっていたため、入れませんでした。

 

気を取り直して再び西門に向かいます。

 

途中で、「良心館」を烏丸通側から見ます。

 

 

良心館

 

 

西門から入り東に向かうと、これがキャンパス内で一番有名だと思う「クラーク記念館[重要文化財]」が見えます。

 

 

クラーク記念館[重要文化財]

 

クラーク記念館は、昔の神学館です。

 

 

 

クラーク記念館[重要文化財] 西門から見る

 

 

今日も、英検の受験生がこの前で記念写真を撮っていました。(試験はうまくいきましたか?)

 

そのまま東南方向に進み、正門に向かいます。

 

途中の左手に「神学館」があります。

 

 

神学館

 

 

その先で右方向に振り替えると、「有終館[重要文化財]」があります。

 

 

有終館[重要文化財]

 

 

正門を入って、この有終館を見ると、何となく歴史の重さを感じた記憶があります。

 

まだ地下鉄が無かった私の学生時代は、市バスで同志社前まで来て正門から入るのが一般的でしたから、いつも有終館を見て、何となく大学の良さを感じていたように思います。

 

さて、正門を出て北(正面の方)を見れば相国寺(遠くて見えません)があり、東(右の方)を見れば同志社女子大学の西門があります。

 

当然、南(後ろ側)は京都御所です。

 

 

正面は相国寺、左に同志社大学正門、右が同志社女子大学西門

 

正門の写真の後ろ側は今出川御門(京都御所)

 

 

今出川御門

 

 

日曜日なので(?)、同志社女子大は閉まっていました。

 

女子大って、日曜日は閉まるのでしょうか???

 

学生時代は、何度か通った事はあるように思うのですが、あまり記憶にありません。

 

しょうがないので、同志社女子大の周りを一周しようと思い、相国寺の方面(北)に向かいます。

 

右手に「アーモスト館[登録有形文化財]」がありました。

 

 

アーモスト館[登録有形文化財]

 

 

アーモスト館が同志社女子大側のキャンパス内にある事を完全に忘れていました。

 

僕の記憶では、同志社大学のキャンパス内にあったように思っていました。

 

アーモスト館は、同志社大学の米国での兄弟校であるアマースト大学(同志社では、アーモスト大学と伝統的に呼んでいます)との記念館です。

 

同志社女子大の北側に回ると、「新心館」が見えます。

 

 

同志社女子大学・新心館(左)

 

 

そのままぐるっと回っていると、「湯川秀樹一家寓居跡」という石碑がありました。

 

 

「湯川秀樹一家寓居跡」という石碑

 

 

全く知りませんでした。(寓居→仮住まいの事)

 

今出川通りに出て、同志社女子大の方を見ると、屋上庭園がある「純正館」が見えます。

 

 

同志社女子大学・純正館

 

 

女子大らしく綺麗な校舎になっています。

 

そのまま今出川通を西に向かうと、同志社女子大学の正門が見えてきます。

 

 

同志社女子大学・正門

 

 

正門の所で、女子高生が覗いていました。

 

将来の受験生でしょうか。(頑張ってね!)

 

守衛さんに断って、正門の中に入らせて頂き、写真を撮らせてもらいました。

 

正面に見えるのは「栄光館[登録文化財]」、女子大学って、こんな感じの所が多いのでしょうか???

 

 

同志社女子大学・栄光館[登録文化財]

 

 

左は「ジェームズ館」。

 

 

同志社女子大学・ジェームズ館

 

 

もう少し西に移動すると「図書館」

 

 

同志社女子大学・図書館

 

 

これで大体、同志社大学と同志社女子大学をざっと見る事が出来ました。

 

私の学生時代は、工学部の機械系学科だったので、1年生のころから、4力学(熱力学・材料力学・水力学・機械力学)や、実験実習、製図実習(CADはまだほとんど無く、図板やドラフターを使っていました。米国では先進的なロッキード社のCADAMシステムがやっと動き出した頃です)、英語とドイツ語、数学と物理、それに一般教養などというものまであり、とにかく月曜から土曜までずっと大学に通っていました。

 

文系の人は楽そうで羨ましかった事を覚えています。

 

 

東の慶應・早稲田、西の同志社と言われたのは、今は昔。

 

今は慶應の一強だと思っています。

 

それに、昔より東京偏重が進んでいる様に思います。

 

話がそれてしまいました。

 

これで私の終活の一環である、母校訪問を終わりにします。

 

 

 

同志社大学キャンパスツアーの様な内容になってしまいました。

近くに行かれた際には、同志社大学を覗いてみられるのも一興だと思います。

西門と正門はいつも開いている筈ですから。

最後まで読んで頂き感謝します。