リアライズの雑文:思い浮かべて -2ページ目

リアライズの雑文:思い浮かべて

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 私の名前は間人皇女(はしひとのひめみこ)(^-^)
 亡くなってからも世間を眺めていまして、その話を少ししていきますね(^ ^) って、タイトルに「(その2・完)」てあるけど、何なのよ(・・?) まだ2回目なのに、話を終わらせろということなのかしら(-_-;) まあ、仕方ないわ(^_^;) 今回は、番外編ですし、適度に話を切り上げてさしあげますわ(^.^)

 死後は、お母様(皇極・斉明天皇)とタケルちゃん(建皇子)と同じお墓に入っている私です(^^)v いろんな方々の人生や出来事を見てまいりましたが、やはり身近な人の生き様が気になって、のめり込んで見てしまいますね!
 一番辛かったのは、お兄様(天智天皇)が、最期のとき、全身の激痛に蝕まれながら亡くなったことかしら(・・;) お兄様は、晩年、大海人皇子(天武天皇となった、私の弟よ)との関係が悪くなったの(*_*) 元々、仲悪くはない兄弟だったんですけど、ちょっとしたボタンのかけ違いと言いますか、お兄様がたまたまデキの良い息子へ期待をかけすぎちゃって、力のある弟の存在が疎ましく、かつ、怖くなってきたのね(-_-) 病気に苦しむようになってからのお兄様の判断の歯車は狂ってきまして、弟への疑心暗鬼が生まれました(-_-;) で、弟が恐ろしいと思う一方、その子である大津皇子のことは、大田皇女ちゃん(お兄様の娘で、タケルちゃんのお姉さん)の子ども、つまり、孫ということで凄く可愛がっていましたのよ(^。^) でも分かるわ、大津ちゃんは、何となくタケルちゃんに顔立ちが似てるんですもの(^o^) お兄様の心の中には、タケルちゃんに対して親らしく接してあげられなかった無念さがあり、それを悔やんでいるところがありました! ですから、それが、晩年、お兄様の気力が衰えた後、代わりに大津ちゃんへの愛情が増すという行為へと移ったみたいです(~_~;) 弟への怖さもありつつ、孫への溺愛もあるといった複雑な心境になったわけです(+o+)
 そして、その大津ちゃんですけど、文武両道!デキの良さを前面に出しすぎたために、当時の権力を持っている方々から妬まれ、謀反の罪をなすりつけられてしまい、最後は死に追いやられたのよね(T_T) 24歳での死だったわ(>_<) まるでお兄様が地獄から蘇って、邪魔者を排除するかの如き凶行、その末路だったわ(o_o) この子はお調子者で、チヤホヤされると、ついつい周りが見えなくなって、予想以上に張り切っちゃうのよね(ー ー;) ホント、「出る杭は打たれる!」というのは、この子に当てはまりすぎだわ(・・;) そう言えば、蘇我さん本家も調子に乗りすぎたから、倒されたんでしたわ(^^♪ どなたか助言してあげる人が傍にいたならば、いわゆる処世術を覚えられて、死なずに済んでいたかもしれないのにねぇ(^_^;) ずっと控えめにしていた中臣鎌足さんが、お兄様に付き従っていたのを思い出したわ(~o~) あの方、しっかりした体格だったけど、体力よりも知力が勝った方でした(#^.^#) そのような方が傍にいて、アドバイスしてくれたからこそ、お兄様が騙し殺されたりされなかったと言えますの(*^_^*) (でも、鎌足さんのお子さん、お孫さんたちは、幾らか自由気ままに振る舞っちゃったところがありますけどね!)
 そうそう、大津ちゃんに話を戻しますわ(~_~) 顔はタケルちゃんに似てるものの、幼くして亡くなったタケルちゃんと比べるのはおかしいぐらい、女好きだったわ(-_-;) そのことだけで、私から見たら、身を滅ぼしてザマアミロと言ってあげたいぐらいよ(^^)v アラ、ダメだわ、女好きをけなしたら、お兄様も同様ですから(T-T) 何せ、お兄様は、大海人の妻さんを欲しいとおねだりしたりして、厄介事を起こしたんでした! 思い出してしまいました(・・;) あと、私とのイケナイ関係もあったけど、この際、お兄様のことはいいの(^_^) 放っといてあげて(~_~;)
 それから、大津ちゃんのことを煙たがってたのが、大海人の皇后になった鸕野讃良皇女だったのよ(-_-;) 大田ちゃんの妹、タケルちゃんのお姉さんなのよぉ(^.^) 小ちゃいときは生意気だったから、気に食わなかったわ(-_-) お兄様の子どもじゃなかったら、もっといじめてやってたわ(「もっと」っていうことは、それなりにコソッといじめてたわけよ!)(^ ^) 鸕野ちゃんは負けず嫌いなところがあって、大海人の妃になってからは、いつも気丈に振る舞っていたわ(^-^) 大田ちゃんと2人して仲良く大海人の妃として過ごしていたのだけど、心の中では張り合ってたのよねぇ(^_^;) そのうちに、2人して子どもを産んでね(^。^) で、そんなときに大田ちゃんが子どもを残して亡くなっちゃったの(・・;) さらに、病床のお兄様が大海人のことを怖れるようになった後、大海人一家は吉野へ逃れていったわ! 大津ちゃんとかは近江の都に残ってたけど、鸕野ちゃんは自分の息子を連れて大海人に付いていったわ(*_*) この頃から、その気丈さが変な方へ向いてしまったようで、大海人が皇位に即いてからは、政治も含めて、何かとマウントをとりたがったのよ(ー ー;) その息子の草壁は早々に皇太子になったけど、母親からの圧に負けて精神的ストレスが溜まりに溜まり、(大海人が亡くなった後、)皇位に即くこともなく、身体に変調をきたして死んじゃったのよ(°_°) そのため、鸕野ちゃん自らが皇位に即いたわ! 死後は、息子との合葬ではなく、大海人との合葬を選択したから、もしかしたら草壁ちゃんは、教育ママから見捨てられた感があるのかしら(~_~;)

 何か、駆け足で身内の最期の様を喋った感じになっちゃいました(ー ー;) 悲しい話ばかり!私の周りには明るい話がないわね(^^;) いつか機会がありましたら、もっと楽しい世間の皆様のお話もしてみたいこと(^_^)