「あんぱん」の師範学校のシーン、

あまりのきびしさにびっくりしつつ

母がよく

「教育大学は昔、学費をとらなかったから

貧しいけど成績がいい人が進学したんだよ。

そのかわり、必ず何年かは先生をしなければならなくて

僻地への赴任も断れなかったの。」

 

と話していたことを思い出した。

そして、いつも

その話をするとき、少し悲しそうだったのを。

 

 

なぜなんだろうな、と思っていたけど、

ドラマを観ていて、急に気づく。

母のお友だちが、そうだったのだ。

母はきっと、それを聴かされていたのだ。

 

 

母の学校時代のなかよしのMさんは、

早くにお父様を亡くし、母一人子一人で

教育大学に通って、小学校の先生になって働いた。

うちへ遊びにくるようになったのは、定年退職してからで

だから、私は 

カラカラ笑う豪快なMさんしか知らない。

 

 

母の世代が、大学に通ったのは戦後だから、

ドラマほどきびしくはなかったのだろう。

でも、あれに近い経験をされていた。

母は、学生時代のなかよしが

生活のために、つらい思いをすることが

くやしかったのだろう。

 

 

もう母と、そんな話はできないけど。

 

 

先人たちは、苦労しながら

今の道を切り開いてきたのだなあ。

そんなことを、ドラマから思ったりする。

 

 

 

五月三日  「ば」でした。

師範学校を出て、小学校の先生になったMさんは

定年まで小学校の先生を勤め、お母さまをみとり、

そのあと、よく母を誘って遊びに行っていました。

京都や神戸の観光地に行っていたようです。

「ここからは自分の好きなことをするのよ!」と

楽しそうに語っていたそうです。

どうしておられるのかなあ。