大学の作曲の師匠が亡くなったことを
送られてきた大学の広報誌で知った。
しばらく、ぼーっと見て、固まって
あ、師匠、死ぬんだ、と思った。
あの人は、口うるさく、私の行動をいちいち批判して
常に頭の上に、重石としてどーんといるものだと思っていた。
いつまでも、いつまでも。
音楽大学の師弟関係というのはかなり密接だ。
普通は、年代を越えて幹事のような世話人がいて
なにかと師匠の動静を他の門下生に知らせるのが普通。
なのに、広報誌でその訃報を知るというのは
ひとえに、師匠の不器用さによる。
厳格。頑固。
教える内容は見事だったが
あまりに厳しいので、弟子が離れていく。
その決定的な事項が
「就職、昇進の手助けを一切しない。」ことだった。
一般的には、直属の師匠は
就職を紹介したり、推薦状を書いてくれたりするものだが
師匠は、絶対それをしなかった。
それどころか、自分の弟子に就職の話があれば
すべてをつぶしにかかった。
それは、本人の意固地な性格もあり、
厳しい環境に弟子を置こうとする、
彼独特の考え方でもあった。
しかし、将来を師匠に潰される弟子の立場はつらい。
だから、卒業と同時に、みんな手元を離れて
彼の回りには、弟子が残らなかった。
まとめる人がいないのだから
追悼の意を伝えるすべもない。
お花でも、送ろうかなと思う。個人的に。
そんな師匠にあやまらなければならないことがある。
(ここまで書いてきた内容が、すでに謝罪の対象かも
しれないが)
後輩のIくんが、二十年前に亡くなったことを
ついに伝えなかったことだ。
我が門下では珍しく、一番の成績で卒業したIくんは
卒業と同時に遠い関東の町で働き、
結婚して二年目に病死した。
私がそのことを知ったのが、四か月後のことで
あまりのことと
電話で話したおかあさんが、あきらかに
もう言いたくない雰囲気であったのがわかって
数人の後輩に伝えたのみで
ついに師匠には話すことができなかった。
師匠の性格上、パニックのように大騒ぎして
傷ついているお母さんのところへ
怒鳴りこむようになだれ込んでいくのが
あきらかだったからだ。
気のいいIくんのことだから、
今頃天国の入り口で、にこにこと師匠を迎え
「なぜ君がここにいるのだ!」と
師匠は絶叫しているだろう。
ごめんなさい。師匠。
あなたが私に放った数々のきつい言葉と
厳しい学問の内容は
すべて私の頭の上に
常に重石として存在しています。
卒業後、数十年たってもこうなのだから
あなたはやはり、いい先生だったのだろう。
ありがとうございました。
でも、涙が出てこない。悲しくない。
師匠。不器用すぎるよ。
五月八日 「ば」でした。
すみません。重い内容ですね。
明日から普段の状態に復帰します。
悲しめないだけ、傷ついているんだな、私。
書いていて気づきました。