実は私、大のウイスキー党。
2年くらい前にまっさんの大ヒットでウイスキー消費がぐっと上がったが、その前からずっとウイスキーは好きだった。

あの大ヒットでウイスキーに火がついて、サントリーもニッカも値上げに踏み切ったのかは知らんが消費者として値上げはやっぱり嬉しくない。

竹鶴17年の去年の秋に値上げということだったので、値上げ前に仕入れておいたのだが、JWをやめて飲み友がいなくなったためか、なかなか栓を開ける機会がなく、未だに棚の飾りになっている。

そんな中、普段飲みのウイスキーは、シングルならボウモア、ラフロイグなどのアイラモルト、そしてスペイサイドのグレンリベット、グレンフィデック。
真逆の特徴を持つスペイサイドとアイラだけど、どちらも入門酒みたいなもので、飽きがこないので、ほとんど浮気することなく飲み続けている。

ちなみにブレンドならニッカのオールモルトは個人的好みで味に対するコスパは相当いいため
下手にスコッチを買うよりはオールモルト一択でいいような。
ブレンドも様々な癖があるので飲み比べると奥が深いのだろうけど、どうせこだわるならシングルの方がいいのでブレンドはついつい癖がなく、飲みやすさとコスパのバランスからオールモルトになることが多い。

さて、そのアイラモルトの方だがラフロイグ、ボウモア、ともにサントリーが平行輸入しているせいか1000円くらい値上げされており、あほらしくてずっと買っていなかった。
ラフロイグは以前はドンキで3500円くらい、ボウモア2900円くらいだったのがどちらも1000アップなので、買うのはかなり躊躇してしまう。前の値段を知っているとなおさらだ。

そんな中いつも高嶺の花と思ってスルーしていたアイラモルトのアードベッグがラフロイグの値上げにより、相対的に安くなっているではないか。ウイスキーコーナーで相当悩んだ挙句選びました。







大切に飲みましょう。

今年は閏月でユダヤカレンダーでは本日4/23がニサン14だ。

だけど、JWは春分後の最初の満月を「主の晩餐」としている。
つまりイエスが亡くなられた夜を暦(ユダヤ暦)で計算するか
実際の天体の運行に従うかの違いらしいけど
JW的には以前から現代のエルサレムで確認できる春分後の満月って
昔から言ってるので閏月とかは考慮しないのか。

ニサン14というから紛らわしいけど、
イエスが亡くなられたのが春分後の最初の満月の夜で
その年は閏月じゃなかったのでニサン14日だということなのか?

ここは考え方の違いだからあまり大きな問題ではないんだろうな
じゃ、他所の教会で今日記念式的なこととか復活祭とかやるとこってあるんかな?
と思ったのだった。

ただ、ここをちゃんと信者に教えとかないとダメだよね。
一般人や意地悪な元JW(笑)から突っ込まれた時に
「統治隊を信頼してますから」的なテンプレ返答するから
マイコン組織とか言われるんだわ。

実際そうなんだけど・・・。
WTの高等教育否定はアメリカの歴史と連動しているような気がする。

アメリカにはもともと反知性主義の伝統があるらしい。それは「知性そのものに対する反感」
というよりも「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感」を指しているみたいなのだが。

 17世紀にイギリスからやってきたインテリ層のピューリタンたちは
マサチューセッツ植民地に小学校よりも真っ先に大学を作ったんだそうな。
それがハーバード大学だという。
そして、エリートピューリタンの教会に抗うように、アメリカでは歴史を通じて草の根の信仰の
原点を取り戻そうとする復興運動が繰り返し起きている。

ヨーロッパでの身分制度を否定して建国されたアメリカではもともと反知性主義、反権力の
伝統が強く信仰復興運動を受入れる素地があったのだから、福音原理主義派の流れを汲むJWが
高等教育否定に走るのは当然なのかもしれない。

そして、大きな力を得たWT組織は70年代の大学生たちの反政府、反権威
フリーセックス、マリファナ、ドラッグやりまくりといった現実を見てきているのだから
それを脅威に感じた協会が高等教育を否定するようになったのも理解できる。

実際、アメリカのバイブルベルトと呼ばれる地域では今でも子供を小学校にすら
通わせないで家で勉強をさせる家庭があるという。それこそ、進化論や悪い学友の影響から
守るためにという理由で。もはやJW以上の過激思想だ。

しかし迷惑なのはそんな思想、文化とは全く関係のないアメリカ以外の全世界のJWたちである
全くアメリカ人というのはどこまで自分勝手で周りが見えない人種なのだろう。

はっきり言ってアメリカと日本は真逆と言ってもいいほど文化的、思想的に異なっている。
日本人はもともと根が真面目なのでそれが素晴らしい教えであれば、普通に世界標準の上を
いく結果を出してしまう。逆にその教えが腐っていれば、真面目に世界標準以下に落ちていく。
悪い交わりは有益な習慣を損なうとはよく言ったものだ。
WTはアメリカ的思想で日本をこれ以上汚さないでもらいたい。
数年前まで、私、通信の大学に通っていたんですよね。
運良く就職先が見つかったため、やめることになったんだけど
取った単位は生きているのでまた復帰しようと思えばできるし
今は別にその必要を感じていないのでそのままになってる。

で、その頃はすでに「特権」なるものになんの未練も感じていなかったので
会衆内でも通信制大学に通っていることは普通にオープンにしてたし
聞かれれば隠すこともなく話していた。

さて、大学も2年が終わるころ、当時の会衆の調整者が近づいてきて
何やら奥歯にものが挟まったような表現で大学教育のことに関して
話を持って行こうとされていた。

すぐに、そのことを察した私は「きたきた」と思いつつもどういう風に
話を持っていくのかという興味から、そのまま、気づかないふりをしてみた。

すると、長老兄弟は大学は忙しいか?学友との交わりはあるか?など聞いてきた。
通信大学通うアラフォーのおっさんに、まさか大学での不健全な交わりのことで戒めを
与えようと思っているのかな。と思っていたら、予想通りと言うか

長老:「今協会は大学教育を積極的に進めていないのは兄弟もご存知ですよね
兄弟がもし大学を続けるようであれば、特権や割り当てにも関係しかねないですが
今後どうされるとか考えていらっしゃいますか」

私:「協会の意向は知っていますが、まぁ、私のようなものを奉仕の僕として
扱っていただき、会衆の割り当ても任せてくださっていることはとても
ありがたいことですが、もし、大学に通っていることでその資格が問われるのであれば
別に私は(奉仕の僕を)辞めてもいいですよ。」

長老は「大学を辞めてもいい」という風に理解したみたいだが
ここで少し会話がかみ合わなくなる。

長老:安心したように「そうだよね、せっかく会衆での良い立場を得ているんだから
まぁここは協会の提案に従っておいたほうが良いかもしれませんね。」

私:「???え?、いやいや、違いますよ、奉仕の僕を続けるのが
ふさわしくないなら辞めても良いですけど、大学に関しては
やめるつもりは今のところないですよ。。」

長老:「えー、辞めるって僕を辞めるってことなんですか!?
私はてっきり兄弟が大学を辞めるという意味だと思ってたんですけど(笑)」

私:「いやいや兄弟、私大学は辞めませんよー
私なりにいろいろ考えた結果での大学教育ですし
そもそも奉仕の僕の資格を剥奪されるかもしれないという理由で
大学辞めるくらいなら最初から大学なんて行きませんよー」

当時、私は海外での奉仕を希望しており、その地で仕事を探すにあたり
大卒資格がどうしても必要だった。

長老:「えー、そうなのー?でも兄弟それはもったいないですよ
せっかく霊的な資格があるわけだし、それをみすみす手放すのは
やっぱり考え直されたほうがいいんじゃないですか?」

私:「んー?ていうか、協会が何故にそこまで大学教育を否定する理由が
わからないんですけど。どうしてなんですか?」

長老:「それはやはり、出版物にも書かれていますけど、悪い交わりがあったり
世の哲学を教え込まれたりとかいろいろあるからだと思いますけどね。」

私:「んー、悪い交わりって言っても、世間と交流を持つなら大学に限らず
職場での交わりや誘惑だって同じじゃないですか?それは大学だけにとどまらず
世で生活する限りずっと続きますよね。それに世の哲学にしても
哲学そのものを学ばなくても、一般社会で生活していれば普通に世の哲学なんて
日常茶飯事に接するじゃないですか?それを大学に行くのは危険
行かなければ安全というのは違うと思うんですよね。
仮に私が10代の世間知らずならまだしも、私もうアラフォーのおじさんですよ!
今更大学に通ったところで悪い交わりや哲学に毒されるならとうの昔にJW離れてますよ(笑)」

長老:「まー確かにそうだけどねー、でも協会は大学教育そのものを
あまり推薦していないじゃないですかー。私も大学に通ってたから
そこのところはあまり強く言えないんだけど。。。」

私:「確かに推薦はしていませんけど、じゃぁ協会は私がこの先どういう人生設計をして
どういう目的で大学に行くということも知らないじゃないですか。
それを十把一絡げのように当てはめようとするのも違うと思うんですよね。
私も大学教育を協会が進めていないのは十分承知していて
それでもなおかつ自分に必要だと祈りの元に考慮して決定したことですので
もしこれがふさわしくないというのであれば、奉仕の僕や会衆の割り当ては
辞退させていただきますよ。」

ここまで話すと長老は致し方ないという感じで納得してくれた。
また、この長老自身が2世でありながら大学院まで出ていることを
引け目に感じたのかもしれないがその後、私を奉仕の僕の立場からおろすことはなかった。

その後、私は会衆を移動するタイミングで奉仕の僕をやめることになるのだが
奉仕の僕の推薦状は書いていてくれたようだった。
いろんなブログに紹介されている、トンデモ長老に比べるとこの長老は
わりとまともな思考力を持っておられたことに感謝できるんだけど
異動先で奉仕の僕を辞退することを説明するのがめんどくさかったので
推薦状はなかった方がありがたかったな。。。

⚪︎⚪︎兄弟!
あなたの期待に応えられず、また、奉仕の僕どころかJWも辞めてしまってゴメンなさーい。
昨日は妻の誕生日

誕生日なんて、JW時代は特には特に何をするわけでもなく過ごしていたけど
数年前くらいから軽く一緒に外食をするようになっていた。

しかし今年は、たまたま私の休日だったこともあり、手料理をすることに
早速クックパッドで妻が好きそうなメニューを探して、材料、ケーキを調達。

誕生日プレゼントというほどではないがロクシタンのハンドクリーム。

妻は当日仕事だったため
「きょうは俺が晩飯作るから、買い物せんでいいよ。早よ帰っといで」
とだけメールを打ち、準備開始。

JW時代は誕生日の祝いは聖書中で殺人が行われた。
ということや
エホバではなく個人に注意を向け、その人を高める行為である。
ということから、JWは誕生日を祝いませんよね。

しかし、誕生日の祝いほど利他的で、無条件の愛を示す祝い事ってないんじゃないかな。
考えてみてください。JW時代はとにかく集会、奉仕と会衆の仕事、
そして、そこで成し遂げた成果を大会で発表し皆の賞賛を受ける。
褒められる時は、常に何かを成し遂げた時。
でも、誕生日はその人が存在しているだけで、生まれてきてくれただけで
おめでとう、嬉しい、ありがとう、の気持ちを表せる、まさに愛ある神エホバの
特質を習った行事じゃないかなと思うんだけど。。

実はこれ、野外で会った方にJWが誕生日を祝わないことを説明しようとして
言われた言葉だけど、その時は「確かに」と思いましたね。
そして、その話を数人の仲間に語ったところ「そうだね」と同意してくれる人もいたけど
自分を含めて決して誕生祝いはしなかった。

文書では個人の良心や判断を尊重すつとか言いながら、決して認めない、行わせない圧力を
かけてくる。そしてその同調圧力を「守られている証拠」とすり替え論理をするJW

コリント1、13:11
わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今みどりごの時のことをやめたのです。

JWという長いみどりごの時代を過ごしたけど、これからは大人として生きていこう。