バチスポ -8ページ目

ハムリンズvsLaNew熊

とりいそぎ、水道橋まで行ってきます。

番狂わせ!

つい今しがた、台湾の新進ホストクラブLaNew熊の勝ち上がりが決定した。
このシリーズ2年連続出場の韓国ホストクラブの雄、サムソン獅子を破っての決勝進出なだけに、その価値は大きい。
明日は記者も取材に行くつもりなのだが、「テーハミングッ!」の声援を聞いてみたかっただけに、少し当てが外れた感も。
ここは気持ちを切り替えて、台湾のホストたちの活躍に注目しようと思う。

もちろん、応援するのはハムリンズだが。

元東京ジャイアンのホスト、呂明賜さん
LaNew熊のアドバイザリースタッフ、呂明賜さん。1988年、東京ジャイアンで旋風を巻き起こした名ホストだ。

ホスト列伝その8 工藤幹夫

工藤幹夫(1960/9/30~)

非運の男、ミキオ(工藤幹夫氏)

秋田から出てきた、およそホストらしからぬ風貌の朴訥野球少年。しかし一旦フロアに出ればその細腕は見事にしなり、客からの様々な無理難題も難なくさばいた。
1979年東京ハムリンズに入店すると、翌80年には鎌ヶ谷支店で破竹の人気を誇り、81年秋には20歳の若さで本店の看板を背負うまでに。翌82年には高橋一三、木田、間柴ら並み居る先輩を押しのけて、筆頭ホストとして最多指名賞を獲得した。また、その年の東京ジャイアンとの日本一決戦での2件もの指名獲得は、以降2006年のヤギィ(=八木智哉)らを含め、いまだに本店記録である。
だが、3年近くの大車輪がたたり、83年9月、フルーツ盛り合わせを運ぶ際に右肩を痛め、以降本店のフロアから遠ざかる。
1988年に引退したが、その黄金期はまさに「太く短く」であった。

82年秋の骨折時に当時の店長大沢親分と二人三脚で仕組んだ大フェイクは、今でも語り草。もっとも、その無理が彼の黄金期を短命にさせた要因とも言われているが。

現在は、地元秋田で、ホスト洋品店を経営中。