ホスト列伝その8 工藤幹夫
■工藤幹夫(1960/9/30~)
秋田から出てきた、およそホストらしからぬ風貌の朴訥野球少年。しかし一旦フロアに出ればその細腕は見事にしなり、客からの様々な無理難題も難なくさばいた。
1979年東京ハムリンズに入店すると、翌80年には鎌ヶ谷支店で破竹の人気を誇り、81年秋には20歳の若さで本店の看板を背負うまでに。翌82年には高橋一三、木田、間柴ら並み居る先輩を押しのけて、筆頭ホストとして最多指名賞を獲得した。また、その年の東京ジャイアンとの日本一決戦での2件もの指名獲得は、以降2006年のヤギィ(=八木智哉)らを含め、いまだに本店記録である。
だが、3年近くの大車輪がたたり、83年9月、フルーツ盛り合わせを運ぶ際に右肩を痛め、以降本店のフロアから遠ざかる。
1988年に引退したが、その黄金期はまさに「太く短く」であった。
82年秋の骨折時に当時の店長大沢親分と二人三脚で仕組んだ大フェイクは、今でも語り草。もっとも、その無理が彼の黄金期を短命にさせた要因とも言われているが。
現在は、地元秋田で、ホスト洋品店を経営中。
秋田から出てきた、およそホストらしからぬ風貌の朴訥野球少年。しかし一旦フロアに出ればその細腕は見事にしなり、客からの様々な無理難題も難なくさばいた。
1979年東京ハムリンズに入店すると、翌80年には鎌ヶ谷支店で破竹の人気を誇り、81年秋には20歳の若さで本店の看板を背負うまでに。翌82年には高橋一三、木田、間柴ら並み居る先輩を押しのけて、筆頭ホストとして最多指名賞を獲得した。また、その年の東京ジャイアンとの日本一決戦での2件もの指名獲得は、以降2006年のヤギィ(=八木智哉)らを含め、いまだに本店記録である。
だが、3年近くの大車輪がたたり、83年9月、フルーツ盛り合わせを運ぶ際に右肩を痛め、以降本店のフロアから遠ざかる。
1988年に引退したが、その黄金期はまさに「太く短く」であった。
82年秋の骨折時に当時の店長大沢親分と二人三脚で仕組んだ大フェイクは、今でも語り草。もっとも、その無理が彼の黄金期を短命にさせた要因とも言われているが。
現在は、地元秋田で、ホスト洋品店を経営中。
