今日は母方のルーツであると思われる高麗神社ヘ行ってきた。
まずは西武線の高麗駅を降りてスグ赤い二本のトーテムポールに迎えられました。

そこからひたすら歩いて歩いて、途中、巾着田などもチラ見(^^;)しながらようやく到着。
んでもってまたトーテムポールw

説明書き...ハングルで全く分からん..

これまた漢字のニュアンスのみが頼りです。。

英語かい!!

って、まあ、ココに書いてある事くらいはしっかり勉強してから来てますが^^;
では、鳥居をくぐり中へ。

韓国大使の方など偉い方々から贈られた献木が数々。


お!本殿が見えてきました!!

なぜか高と麗の間に小さく『句』の字w

この『句』の文字は高句麗と高麗が別の王朝であることを区別する為に明治末期頃に入れられたようです。
んでもってお詣りして参りました。

更に奥へ進むと立派なしだれ桜。

なんと樹齢推定400年


高麗家住宅入り口。


間取り図。

なかなか魅力的な物件でした

これを読むと感慨深い気持ちになる・・・


約1300年前の朝鮮地方の戦乱の末、日本に移り住むことになり、日本と同化していった高句麗の人達がいたということ。
そして、今の自分がいるということ。
あまりに遠い過去に想いを馳せてみたりしました。
似合わんねーーー

実は今朝、お風呂入ったりしてゆっくりし過ぎて(

高麗王若光さんに会いに。
※高麗神社
高麗神社は高句麗の王族高句麗王若光を祀る社である。高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年間君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが、霊亀2年(716)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郷が設置された。
高麗王若光は高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の地を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来、現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。
昭和57年3月 埼玉県
※古代高麗郷と高麗神社
日高市に中心を置いたと考えられられる高麗郡の始まりについて続日本紀に「霊亀2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国から高麗人1799人を武蔵国に移し高麗郡を創建した」と記されています。この時、高麗郡の長となったと考えられているのが高麗神社の祭神で高句麗からの渡来人であった高麗王若光でした。
その後裔で代々高麗神社の宮司を務める高麗氏系図には、「若光が没すると郡民はその遺徳を讃え御殿の後山に霊廟を建て神霊を祀り高麗明神と称した」と当社の創建を伝えています。
日高市市内には8世紀前半以降の集落跡や女影廃寺、大寺廃寺、聖天院の前身と考えられている高岡廃寺などの古代寺院跡や須恵器の窯跡といった高麗郡建郡以降の遺跡が数多く存在し、古代高麗郡の栄華を知ることができます。
高麗神社には12世紀(鎌倉時代)の「大般若経羅密多経」(国指定重要文化財)を始め、高麗神社本殿(県指定文化財)、徳川将軍家社領寄進状(市指定文化財)といった有形文化財のほか、10月19日の例大祭に氏子によって奉納される獅子舞(市指定文化財)も行われています。また、高麗氏所属の文化財として17世紀の建築といわれる高麗家住宅(国指定重要文化財)、高麗氏系図(市指定文化財)があります。
平成14年5月 日高市
そして自宅に帰り、父方の故郷、岩手県の名産!!岩谷堂羊羹をいただいてます


んまいね~~

オレは縄文人と弥生人のハーフなのかな・・・
な~んて、どーでもいい事を考えながら今日は就寝いたします。。
HEAD PHONES PRESIDENT情報!!
3rd Album "Stand In The World"
2012.6.6 Release!!
RADC-073
RADTONE MUSIC
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~LIVE SCHEDULE~
2012年5月26日 新宿MARZ
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HIROソロライブ
2012年5月15日 荻窪rooster