9月30日、別ブログで、中秋の名月についての記事を書きました。
ここにそれを転載したいと思います。
アメブロ用に、一部を変更しています。
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9月30日は、「中秋の名月」。
あいにくの台風接近でどうやら観月はおぼつかなさそうですが、
ざっと調べてみも、
大覚寺「観月の夕べ」、妙心寺塔頭・退蔵院「観月茶会」、
北野天満宮「明月祭」、平野神社「名月祭」、
神泉苑「神泉苑観月会」、八坂神社「祇園社観月祭」、
上賀茂神社「賀茂観月祭」、下鴨神社「名月管絃祭」、
など、京都の名所のいたるところで観月の催しが予定されていたようです。
ただ、台風が過ぎた後は、台風一過の澄明な空に、十六夜の月が見られそうですね。
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そもそも中秋の名月とは、旧暦8月15日の満月のことを言います。
「中秋」とは、暦の上で、
1~3月を春、
4~6月を夏、
7~9月を秋、
10~12月を冬
とした時に、8月15日は「秋」の3カ月のちょうど真ん中の日にあたることから、その名があります。
1~3月を春、
4~6月を夏、
7~9月を秋、
10~12月を冬
とした時に、8月15日は「秋」の3カ月のちょうど真ん中の日にあたることから、その名があります。
旧暦では、毎日15日は満月と決まっていました。
旧暦は月の満ち欠けを基準に1ヶ月を決めていて、新月が1日、満月が15日となるように暦を定めていたのです。
旧暦は月の満ち欠けを基準に1ヶ月を決めていて、新月が1日、満月が15日となるように暦を定めていたのです。
1日のことを「ついたち」と言うのは、旧暦の毎月1日(朔)のことを、「月立ち」(これから月がだんだん満ちていく)の意から「ついたち」と呼んだことに由来します。
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どうして、「名月」は秋なのか。
簡単に言えば、1年の中で月が一番きれいに見えるのが秋だということです。
澄んだ空にくっきりと浮かぶ青白い月。
秋の澄んだ月は、和歌の題材にもなってきました。
和歌を2首ほど挙げましょう。
秋風にたなびく雲のたえ間よりもれいづる月のかげのさやけさ
(『新古今集』左京太夫顕輔、百人一首)
(『新古今集』左京太夫顕輔、百人一首)
大意:秋風によって横ざまに雲が流されている。その雲のわずかな合間から時折見える月の姿のなんと鮮やかなことよ。
--ここの「かげ」は「光」の意。
--ここの「かげ」は「光」の意。
空には雲が浮かぶものの、雲の切れ目から見える月の姿の、目の覚めるようなあざやかさ。
その対比が絶妙です。
その対比が絶妙です。
山の端に真澄の鏡掛けたりと見ゆるは月の出づるなりけり
(『千載集』藤原基俊)
(『千載集』藤原基俊)
大意:山近くの低い空に真澄の鏡が掛かっている。そう見えるのは、出始めの月であることよ。
--非常に澄んだ鏡をさす「真澄の鏡」。
それを冴え冴えとして鮮明な月の喩えに用いています。
--非常に澄んだ鏡をさす「真澄の鏡」。
それを冴え冴えとして鮮明な月の喩えに用いています。
古来、秋の月の澄明さは、日本人の心を惹きつけてきたのですね。
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では、なぜ、秋の月はクッキリと鮮明に見えるのか。
秋は空気中に水蒸気やチリが少なく、月の姿がぼやけたりしにくいのです。
逆に、空気中に水蒸気が多い夏や、チリや霞に邪魔される春は、どうしてもぼやけてしまいがちです。
逆に、空気中に水蒸気が多い夏や、チリや霞に邪魔される春は、どうしてもぼやけてしまいがちです。
また、高度も関係があるようです。
冬は満月の高度が高く、夏は低くなります。
太陽と逆のイメージですが、満月は太陽の反対側にあるので、このようになるのです。
太陽と逆のイメージですが、満月は太陽の反対側にあるので、このようになるのです。

高度が高すぎると観望には適さなくなり、低すぎると、大気の影響を受けやすくなるので、ぼやけてしまいます。
というわけで、
大気がきれいで、高度が高すぎず低すぎない秋
が、月見のベストシーズンになるのです。
ちなみに、旧暦9月13日も「十三夜」という月見イベントの日です。
今年の十三夜は、10月27日に当たります。
十三夜は十五夜より晴れやすいとも言われます。
十五夜の見られなかった方は、十三夜をねらってはどうでしょう。