ベトナム:「韓国軍が私たちの村の人々を殺しました」 | already read‐news。ο

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今年3月27日'ベトナム平和医療連帯'は診療地域のフーイェン省トゥイホアからバスで4時間かけてビンディン省タイビン村に踏査に行きました。
ベトナム住民の証言と資料によれば、1966年2月中旬の3日間、タイビン村15の村で1700人余りの住民が韓国軍により命を失いました。

ある村では一時間で380人全員が殺され生存者がただ一人もいなかった言います。
私たちに'そのこと'を証言したランおじさんは全身に手榴弾の破片が打ち込まれ気絶した後、生き残りました。
そのことがあってから47年間、妹と母親の悲鳴は自分の耳から離れず、数えきれない程多くの破片の中であるものは肉と骨の中に埋もれたままです。
また、何かが血管の中をぐるぐる回って痛みが止まらず、ランおじさんはそのことをとうてい忘れずにいるとのことです。

タイビン村には大きな慰霊碑がありその後ろにはモザイクで作られた壁画があります。
村の人々は韓国軍がしたことの記憶を描きました。
町内の人を集めて銃撃し手榴弾投げて、女を輪姦した後燃やして...47年前の「そのこと」を証言されたランおじさんの目じりにたまった涙は再び診療宿舎に戻る4時間の間、号泣できない悲しみで胸をえぐられるようでした。

その数多くの怨みの霊の破片は私のからだのすみずみ漂って永遠に治癒されない苦痛として残りそうでした。
この村の人々はいくら戦争であっても、何の理由も知らないままなぜ殺されたのでしょうか?
どうして何の悪いこともしていないのにベトナムという国に生まれて生きているという事実だけで、そのようにぞっとする虐殺にあわなければならなかったのでしょうか?
どんな状況でも人間の生命を奪うことは恐ろしい行為で軽々しく扱えない野蛮なことです。

日帝は満州で白頭山(ペクトゥサン)で朝鮮人に対しむやみにそのようにしました。already read‐news。ο-791378657252out.gif
解放後、親日派は韓国民衆を日帝に学んだ通りむやみにそのようにしました。
朝鮮戦争でお互いが相手方の生命をむやみにそのようにしました。
朝鮮戦争を経験した韓国軍はベトナムでむやみにそのようにしました。
ベトナム戦争をした私たちのベテランらは光州(クァンジュ)でむやみにそのようにしました。

私たちが私たちの未来ある若者たちに歴史の明白な誤りを眺めさせる時、厚顔無恥な微笑を浮かべる日本に習うのか、でなければ懺悔してひざまずいたドイツに習うのか。
実に私たち自らがベトナム戦争参戦を反省しなければ、記憶を歪曲して罪悪を美化する日本の歴史観を浅はかだと批判する資格があるでしょうか?
世界史の舞台で正義と道徳をうんぬんできますか?

過去に目をとじて未来に明るい光が見えますか?
既成世代が過去の歴史を認識する態度により若者の歴史倫理は健康と破滅の境界線でその方向を変えるでしょう。
韓国に拭えない憎悪を一生持ち続けてきたランおじさんは韓国からはるばる訪れた私たちを親しく迎えてくれて最後にこのように言われました。

「戦争で問題を解決しようとしないで下さい、お願いですから。韓国の人々を南朝鮮の人とか北朝鮮の人とか区別しますが、そのまま朝鮮の人として会ったら良いです。」


▲ベトナム戦争の時韓国軍が投げた手榴弾で身体障害者になった'ラン'おじさんが証言をしながら涙を流している。

「私は今年62才です。それは15才の時でした。明け方5時ぐらいに私たちの村の四方で爆撃の音が聞こえました。当時、あまりに爆撃が多かったので家ごとにトンネルを掘った防空壕がありました。私たち家族はトンネルに入りました。次第に爆撃の音と銃声が私たちの村に近づき途方もなく大きくなりました。同時に赤ん坊の泣き声、女性の叫びや悲鳴がトンネルまで聞こえてきました。そうするうちに銃声は私たちの村をすぎてだんだん遠ざかりました。 午後4時頃、遠くのある村でまた銃声が聞こえ始めました。しだいに私たちの村に迫ってくるので私たちはまたトンネルに入りました。トンネルに近づく軍人たちが'ペシ、ペシ(VC、ベトコンの略字)'という言葉を聞いて韓国軍だと思いました。彼らは私たちの家族を発見してトンネルの外に出てこいといいました。出て行ったところ、私たちをあぜ側に引っ張っていきました。あぜには私たちの村25世帯の家族がすでに集められていました。 韓国軍は私たちに静かにうつ伏せになっていろといいました。そして私たちをぐるっと囲みました。後ろでひとりが怒鳴りつけるとすぐに銃声が聞こえて手榴弾が飛んできました。騒がしい声とともに霧が立ち込めたように砲煙で覆われました。覆われた砲煙の間で、気づけば脳髄が流れる人、腹が破裂してはらわたが出たり腕と足が取れた人々が乱雑に広く散らかった姿が見えました。そうした中で老人たちは子供を探し母親たちは子供の名前を呼びまくって生きている子供たちは恐怖のあまり泣きまくる、とても人間としては聞けない残酷な声が砲煙の中を満たしていました。その時、私の足首側に手榴弾が落ちました。瞬間的に起きて三歩程、飛び出した時、手榴弾がさく烈しました。破片が全身に打ち込まれて私は気絶しました。 夜に目が覚めました。生き残った人々が私たちの家族を家に移しました。周囲を見回すとお母さんは下半身が切断され、妹は頭が割れていました。横になっていると夜中の12時まで妹の悲鳴が長く酷く続きました。いくらかあとで悲鳴が止まるとすぐに生き残った村の人々が妹をむしろにぐるぐる巻いていきました。彼らがまた我が家に戻ってきた時、お母さんが亡くなりました。お母さんもむしろにぐるぐる巻いて出て行きました。その姿を見てまた気絶しました。目覚めると私は家族がいない孤独な人になりました。村の人々が私をひきとって育てました。」

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[OhMyNews(韓国語)]

韓国海兵隊
フォンニィ・フォンニャットの虐殺
1968年2月12日、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)第1大隊が村の婦女子を集め暴行、強姦後、至近距離から銃殺、刺殺し火を付け立ち去った事件。
しかし、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が現場に到着し虐殺が判明した。
アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した。
また、J・ボーン伍長によって事件現場の撮影が行われた。
(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)
犠牲者を収容するアメリカ海兵隊員
両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳の女性
至近距離から撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦
殺害された子供
韓国軍に焼かれた住民

当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍に参加していた。
続く2月25日には韓国海兵隊によってハミの虐殺が引き起こされ、ハミ村の婦女子・老人135名が虐殺された。
韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって少なくとも民間人9,000人が殺害されており、あるいは、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている。
韓国兵は残忍なやり方で女性を暴行、強姦してから殺すケースが多く、アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけベトナム女性にとって恐怖の的だった。

[Wikipediaより]


☆★☆★☆
同胞韓国人は嘘つきばかりである。
私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。
馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。
馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。
ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。

[南朝鮮人老人の言葉]