

北朝鮮の政治犯強制収容所からの脱出に成功し、最も名の知られた脱北者となった申東赫さん(30)。
夢は収容所の閉鎖という「不可能」をいつか可能にすることだ。
申さんは今週にスイスのジュネーブで、北朝鮮の人権侵害の実態を調べる国連の調査について、関係者と意見を交わした。
申さんは、北朝鮮指導部の刑事責任追及につなげるため、生まれ育った「14号管理所」での恐怖体験を証言したいと考えている。
ロイターのインタビューに応じた申さんは、「彼らは不可能を可能にできるかもしれない」と、国連人権理事会が設置した調査委員会に希望を抱く。
同委員会は、脱北者らから情報収集を行い、拷問や処刑といった違反行為の存在を実証するために設けられた。
「彼らは長期的な視点かつ体系的な方法で調査する必要がある」。
通訳を介してこう話す申さんは、「私に協力できることがあれば、それが証言であろうと何でも全力を尽くす」と意気込む。
人権団体によると、収容所には約20万人が拘束され、農地や鉱山での強制労働を強いられている。
一方、北朝鮮政府は収容所の存在を否定し、国連の調査にも協力しない意向を示している。
「収容所の閉鎖に向け、全世界に現状を知ってもらうこと」が自分の責務と語る申さん。
「実は心の中では、国際社会が軍隊を送り込み、収容所の政治犯全員を救い出すか、突破口となる何かを実行してほしいと思っている」と本音も漏らした。
<新生代の脱北者>
欧州議会(ブリュッセル)での演説を6日に控える申さんは、人権侵害の体験談を表舞台で告発し始めた「新世代」の脱北者の1人だ。
金正恩第1書記と同年代の申さんは、2005年に収容所を脱出。
中国を経由して、現在は韓国ソウルで生活を営んでいる。
平安南道价川市にある収容所で申さんは空腹に苦しみながら暮らし、拷問にも耐えてきた。
殴られることもあれば、拷問の一つとして天井から吊り下げられ、火の上に降ろされることもあったという。
2万─3万人の政治犯と過ごした収容所での22年間は、食料を取り上げられるなど、過酷を極めた恐怖の毎日だった。
「殴られることや、食事なしといった処罰、公開処刑。われわれは、このようなものとともに育った」
「公開処刑の理由は極めてあいまいで、知らされないこともあった。窃盗で処刑された人もいれば、脱走で処刑された人もいた」
と当時の記憶をたどって申さんは語った。
米紙ワシントン・ポストのブレイン・ハーデン記者の著書「北朝鮮14号管理所からの脱出」では、申さんの収容所生活が生々しく描かれている。
その中で申さんは、脱走を企てた母と兄を責めたことも明かしている。
母は絞首刑に処せられ、兄は銃殺刑となった。
母と兄は、申さんと父の目の前で処刑されたという。
その9年後に脱走を試みた申さんは、「電気柵を含め大量の柵があった。私と一緒に逃げようとした者は失敗して死んだ。私も感電死寸前だった」と雪の中での脱出劇を振り返った。
申さんは盗んだ軍服を着て北上。
中国にたどり着くまでに1カ月かかった。
国境警備隊には賄賂としてたばこを手渡した。
「2005年当時、それは特別なことではなかった。多くの人がその国境を越えていた。一般の北朝鮮人は飢えていた。それが今では、警備が非常に厳しくなっている」
国連は先週、孤児とみられる9人の脱北者が中国によって北朝鮮に強制送還されたと明らかにした。
申さんは9人の行く末を案じ、「とても悲しく思う。北朝鮮に返されれば、厳しい仕打ちが待っている。政治犯強制収容所に送られる可能性もある」と肩を落とした。
申東赫(シン・ドンヒョク)Wikipedia
2013年06月6日
[ジュネーブ:ロイター]