つづき。


日が高くなって、明るくなるにつれて、みんな自宅の片付けなどに取り掛かったり、

公園に集まっていた人が、減っていきました。

自宅がむちゃくちゃになりすぎて入ることもできない人は、車の中ですごしたりしていました。


私も、何から手をつけていいかわからない自宅に、靴のまま入って、

危険物に気をつけながら、片付けたりしました。すぐにどうにもなりません。


少しすると、知人や友人がどうしているか気になって、直接たずねていきました。


街に出ると、おそらく倒れているだろうと思った建物が無事だったり、

一見、変化がないように見える建物の途中の階がぺしゃんこにつぶれていたり。

昨日とは一変した世界になっていました。


半年前まで住んでいた賃貸マンションは、斜めに傾いていました。


たまたま自転車で5分ぐらいのところに、幼馴染の友人が住んでいたので、たずねました。

彼女の家は、築年数の経過した社宅だったのですが、被害が少なく、

私の周囲は電気・ガス・水道すべて止まっていましたが、彼女の家は電気はついていました。


建物の構造もありますが、地盤の固さや、揺れと建物の方向など、

微妙なことで明暗をわけていたようです。


私が行くと、友人は、夫婦でテレビを見ていました。

えっ!ここは電気が通ってるの、テレビも見られるの?とびっくりすると、

「バタコ(仮名)!神戸がとんでもないことになっとるで。映画みたい・・・。」


関西に住む人間には、交通の大動脈とも言える阪神高速が、東灘区~灘区あたりで倒壊。

長田区あたりは大規模な火災があったようでした。

テレビに、見たことがある建物が倒壊している映像がたくさん映っていました。


まさか、自分の生きているときにこんなことを体験するとは、思いもしませんでした。


もうひとり、友人が同じ市内に住んでいたのですが、

この友人の住んでいた住宅は、1階部分がつぶれました。

(友人は2階にいて無事でしたが、いろいろ悲惨な場面を見てしまって、後にPTSDで通院していました。)


最初にたずねた幼馴染の友人が、「うちは電気もつくから、しばらく身を寄せていいよ。」と言ってくれたので、

夫と長女と3人、その夜は、泊まらせてもらいました。


前日に冷凍していた手作りコロッケを、レンジでチンして食べました。

共働きなので、週末にまとめておかずをたくさん作る習慣があったのです。

コロッケを作るとき、揚げてから冷凍するか、そのまま冷凍するか悩んでいたのですが、

揚げてから冷凍しててよかった、と思いました。

何日かは、食べるものがありそうでした。


夜には、つけているテレビのニュースから、延々と犠牲になった人の名前が読み上げられていました。

その数は、どんどん増えていきました。

なんで、こんなことになったんだろう、と思いました。


夫が、「月が赤くて、気持ち悪いな。」と言っていました。



つづく。