小2の次男くんは、タイトルのとおり、ADHDなどの傾向があります。

母親の私にもその傾向があります。

自分にその傾向があるので、職場や、息子の友達に、困りごとのある人を見ると、
「ああ、あの人もたぶん凸凹があって、理解とフォローが必要な人なんだな、」と分析してしまいます。
ある程度の割り切りと諦めは必要だと思うので、
私は、できない人に対して、「気持ちの問題」とは思わず、多くを求めないことにしています。

ついつい、自分がそう思っていると、周りの人も同じように思っているだろう、という思考に陥りがちなのですが、
定性発達の人の中には、困りごとのある人を「気持ちの問題」と捉える人もいます。
(実際、気持ちの問題の場合もあるらしいです)

今日のお話は、
「次男くんの困りごとは、発達凸凹が原因だから、根性論の指導はしないで欲しいし、分かってもらえるはず」
と、思った私と、
「次男くんの困りごとは、ココロの問題かもしれないから、なんとかやる気を引きだしてあげたい」
と考えてしまった、若い担任の先生の、
行き違いの失敗談です。

次男くんは、2年生になって、毎日ノートに
「もっとていねいに」と書かれてしまうようになりました。

1年生の時の担任の先生は、斜視とDCDのせいかもしれないと察して、ノートは花丸だらけにしてくださってました。

まあ、2年生だし、普通学級にいる以上、厳しく指導されるのも仕方ないのかな、と思ってしまいました。

先生にしてみたら、
「こんなに頑張って指導してるのに、なぜ良くならないの?」
そんな心境だったのだと、今となっては思います。

次男くんの吃音がひどくなってきたのが気になりだしたのですが、

赤ペン指導は日に日に増えて行きました。
「筆算に定規を使って」
「連絡帳の一行日記は、ちゃんと書いて」
「一行日記は、毎日違うことを書いてみよう」

次男くんは、次第に表情が暗くなっていきました。

個人面談では、
「1年生と2年生は、指導の仕方が違う」ということを、先生は繰り返しおっしゃってました
厳しいことを色々言われて、
私もかなり悩むと同時に、不快な感情の方が強くなりました。

私や次男くんのようなADHDの人間は、
「あれもこれもギチギチ言われるのが苦手」
なんです。

ポイントさえ抑えてればOK、にしてもらえれば、
むしろ普通の人よりできたりします。
授業中、ボーっとしてるのは、放っておいてもらえれば良い。
ADHDは、常に脳がヒートアップ状態だから、
ボーっとして脳を休めたくなるんです。

ノートが取れてないのも、授業を先に進めてもらって全然構わない。
だって、理解はできてるから。

授業中、迷惑をかけることもなく、お友達トラブルもなく、不登校もない、
テストも90点以上とれてて、なぜ通級の打診をされる?

一時期、かなり担任の先生に対して、不満を持ちました。
でも、自分が二十代の頃の未熟さを思うと、
人のことは言えないなと思い、
口には出しませんでした。

小学校教師の友達に相談して気が付いたのは、

「この担任の先生は、字の汚さや、ボーっとしてる、をココロの問題ととらえてる」
「義務教育である以上、ノートが取れない子を待ってなくてはいけない」
「担任の先生も、どう接したら良いか分からない状態で、間違った方向に頑張っちゃってる」

今から思えば、ごもっともな話なのですが、
これに気がついて、冷静になれました。

職場に、
カンが良くて理解が早く仕事できる人、と、そうでもない人、がいるのと一緒で、
教師の世界も、
カンがよくて、うまいこと合理的配慮を自然とやってくれる先生、
と、そうではない先生がいて、

だから、建設的に、第三者(特別支援センターなど)を巻き込んで、次男くんの特性がわかるエビデンス(医師の見立て)を用意して、説明して、合理的配慮の相談をしなければならないのだな、と気がつきました。

一学期の終わりに、スクールカウンセラーの先生と担任の先生と三者面談して、
カクカクシカジカ、少し放っておいて見守って欲しい旨を説明して、

二学期入ってすぐに、特別支援センターの方が、担任の先生と面談して、
「厳しい指導はしない」という合理的配慮について話をしてくださいました。

二学期に入って、次男くんは、明るくなりました。
ダメ出しだらけだった算数のノートには、
「がんばってますね」のひとことが、書かれるようになりました。

このまま、どうか、うまく行きますように。