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何度 笑って泣いたかじゃね❓”

岩田剛典「only one for me」



岩田剛典、中学受験で慶應普通部へ 「15×7は? はい2秒!」家でも勉強漬けだった小学生時代



生き物に触れるのが大好きだった少年時代

 小学生時代の思い出は本当に勉強しかないんです。自分でもかわいそうって思うくらい(笑)。

 祖父も父も慶應出身で、小さいころから親に「慶應に入りなさい」と言われ続けて、中学受験まで勉強一筋でした。

 ただ低学年までは自由にさせてもらっていました。生き物に触れるのが好きで、虫捕りに行って昆虫標本を作ったり、川に行って魚やザリガニを持って帰ってきては、うまく育てられなくて死なせてしまってヘコんだり。カメも飼っていました。実家は緑のなかにあって自然に囲まれていて、ヘビもタヌキも出るし、タケノコも生えていました。子どもにはいい環境だったと思います。3歳上の兄はあまり虫が好きじゃなかったけど、僕は木の幹にハチミツを塗って朝方カブトムシを捕りに行くような少年でした。



高学年になると、塾が生活の一番のプライオリティーになりました。毎週、毎月のテストの順位がバーッと貼り出されるんです。その順位に一喜一憂し、一緒のクラスだった子がどんどんレベルの高いクラスにあがっていくことに焦ったり、不安にかられたりもしました。「なんでこんなにつらいことをやらなきゃならないのか?」と塾の先生や親に訴えたこともあります。

 それでも挫折せずに勉強したのは「褒めてもらうのがうれしかった」のと「負けず嫌いだった」から。スポーツでもなんでもいいから、与えられたことでがんばり、それで評価され認めてもらうことに喜びを感じていたんだと思います。当時は塾で忙しくてスポーツはあまりやらせてもらえなかったから、そのぶん勉強をしていたんです。



科目は算数と理科が得意でした。ただ自分のなかで論理的に納得できない問題には苦戦することも多かった。それだとテストでは時間切れで通用しません。克服するためには知識として暗記するのが一番だと、暗記を徹底しました。

 暗記法はメモに書いて読む、声に出して言う、の繰り返しです。瞬発力も鍛えるため、九九も「9×9」までではなく、その先のかけ算も2秒以内に答える訓練をしていました。家でも親にいきなり問題を振られることもありました。食事中にいきなり「15×7は? はい2秒!」などの質問が飛んでくる(笑)。

つらい勉強のモチベーションになっていたのは、家庭教師の先生の存在でした。男の先生で勉強の合間にいろんなところに連れていってもらいました。「次のテストで100点とったら、釣りに連れていってあげる」「山に珍しい虫を捕りに行こう」。そんなことがうれしくて、がんばれるんですよね。

(取材・文/中村千晶)