2011年3月11日の自分を記録してみる | basstrutの「それもどうせ忘れるやん!!」

2011年3月11日の自分を記録してみる

もう一週間も経つ。数時間前、東北関東大震災の死者は、阪神大震災の死者を上回った。
とりあえず思い出せるうちに記録。




新橋のビル、31F。

パソコンに向かって、いつもどおり冷静と混乱の間でさまよいながら、メールボックスを見つめてた。

と。少し揺れる。 あー地震気持ち悪い。またか。最近多いなぁ。。

。。

長いな。 なんやねん。


後ろの席の先輩Mさんが立った。

自分もなんとなく、立った。


窓の方向に目をやる。


「カコン」



アナログテレビの上に置いてあった、空のペットボトルが落ちた。
その時にやっと気づいた。「あ、これ今までの地震とちゃうわ」
叙々に周囲のざわめきが大きくなる。机に積んだ書類の山が崩れた。


「ゴン!!」


窓の外で、聴いたことのない、地響きに似た音が鳴る。




うわ。。


この頃には、いや、もっと前かも知れない。混乱が冷静を上回っていた。


「階段で、降りましょう」冷静な先輩Kさんが、凛とした声で言う。
この人はやっぱりすごい。自分も動かなきゃ。


防災セットが、コート掛けの棚の上にあった。と思う。
千鳥足で棚に近づき、開ける。あった。ヘルメットと銀色の袋。手も届く。


ひとつ、ふたつ取って、なんとなく歩く。みんなに渡す。



手に取り、みんなで階段から降りる。降りる。

。。
。。。



なんやねん。まだ26階やん。。


狭くて長い階段。ところどころ漆喰がはがれ、落ちている。

1Fに着く。フロアにはざっと100人くらい。あれ。以外と人が少ない。
朝の出社の時間帯の方がよっぽど多い気するわ。

とりあえず、外に出て先輩Mさんとタバコを吸う。



「まだ◯◯さん残って仕事してたなぁ。こういう時、肝が座ってるかどうかわかるよね」と先輩。

違和感。


正直、先輩の言葉は理解できないと思った。死んだら終わりやん。死なないことが第一やん。



携帯の地震速報を調べる。なかなか繋がらん。。
宮城で、震度6強とのこと。うぉ。。やばいんちゃうん。。


世界に誇るレーベル、Jazzy Sport宮城。

いつか行きたいと心から思っていた宮城。大丈夫かよ。



いろいろ言いたかったけど、自分は安全だと多くの人にまず伝えなきゃ。
あ。ツイッターで何かしらツイートをすれば。と思った。


その時のツイート



7時半に退社。いつもは12時前後までやってたけど、その日の7時半はすごく遅く感じた。

電車は当然止まる。
家まで歩くと1時間半くらい。


でも、なんとなく、関西にいる親の顔が浮かんで、心配しているだろうと思った。
同じく東京に来ている姉と一緒にいるべきと思った。



つながりにくい携帯で連絡を取り、その日は姉の家に泊まることにした。
姉も、来いというメールを送ってきていた。



その日は、姉とコンビニでペットボトルの水2本と、尊敬するさとなおさんが書いていた阪神大震災のブログ記事を思い出し、サランラップ、軍手や食料を買って帰った。


ごはんを合計10合炊き、おにぎり作りまくった。



結構笑われたその時のツイート


その日は姉の友人も姉の家に来た。帰れなくなったらしい。

姉は感覚が自分と似ている。一緒に育ったから当たり前やけど。



だから、話すと同じ方向に向かってしまう。いろいろ不安なことばかり語ってしまってた。


でも、その姉の友人が入ることで、会話がちょっとぼやけた感じになった。



なんか救われた。


その日はそれ以降記憶が無い。なんだかんだ最初に寝てしまった。


3.11。恐らく、日本人が心に刻むことになる日。





50年経っても、きっと黙祷をする日。








PS.3月11日と、大好きだったミクスチャーバンド、311が自分の中でリンクしちゃってちょっと嫌。どうせなら追悼歌とか無料配布してくれ!!