残業などしたくもない、これが正直な感想だ。金のために残業するという向きもあるが、それでも残業など極力したくない。しかし、それでも仕事は山のように増える、そして会社は残業するな、時間内にやり切れと求めてくる(それはいい流れだが、キャパ的にぎりぎりなのが本音である)。

 著者は、チェース・マンハッタン銀行等で従業員のクビを切りまくった人事部長としての経験をまとめた、「クビ論!」などの著者としても有名である。

 私は、私が不必要に残業し、自分自身の人生に後悔しないようにするための3つのポイントを探すため本書を読了した。

 1つ目は、「ポストイット仕事術」というものだ。

これは、仕事の優先順位づけを適切に行いながら、かつ無駄な残業をしないようにする手段として紹介されている。

 仕事の優先順位をつけて仕事をしろと言われることは多いかもしれないが、自分の中で優先順位をつけてやってみても、後から「こっちを先にやってくれよ」と言われることもある。そんなことに陥らないように、本書では「上司の目線」で考えるようにし、その上で仕上げなければならない順番に並び変え、「今日中にやらないといけない」仕事を抽出し、その上でやりたくない、苦手なものを午前中に持ってきてその上で午前中に全ての精力をかけて集中してやり切るようにする、というものだ。

 今までの自分はどちらかというと午前中はのんびりと仕事をして、午後から徐々にという形であった。しかし、この方法を採用してから午前中に全てを出し切るようになり、午後からは比較的楽な仕事を余裕を持って取り組むことができるようになった。

 2つ目は、「言った、言わないはもう勘弁」というものだ。

めちゃくちゃ忙しいときに限って意見を求められて、回答したことが相手の都合の良いように取られて、後でもめることがある。

「そういう意味では言っていない」「いいや、そう言ったでしょ、あの時」という風にこんなことになるともはや収拾がつかない。記録も残っていないので、どっちが悪いのかさっぱり分からない。

 正直、自分はこういうことに巻き込まれることが多い。自分にも落ち度があるのは認めるが、こういうのは面倒で困る。

 そうならないためにも、筆者は何か会議などで良く分からないまま何かが決まったような気がしたときは、メール等で備忘録的に「さっきの内容をまとめます」とメールを関係者に送りつけてしまうのがよい、とする。

 こうすることで、後の記録にもなり、また関係者に送ることで返信がない=容認ということにもつなげることができ、有効であるとする。

 正直最初はちょっといやらしい感じもしたが、実際におこなってみるとやはり安心感も出てきて、これは効果的だと思う。

 3つ目は、あとがきのところだ。

 著者のあとがきの所で、これまでの外資系企業で働いたエピソードを紹介しているが、「休日に仕事の話をするのは「生涯の友を失う」と言われるほどタブーである」というものだ。

 ともすると、日本では休日まで社内のゴルフコンペやらに駆り出され、一体どこまでが仕事でどこからがプライベートなのかが良く分からないことが多い。私は、そのようなのは勘弁なので、ほとんどのそのようなお誘いはお断りしている。

 しかし、今でもそのようなものに無理にでも駆り出させようとする動きは止まらなく、やや辟易もしているので早く日本にもこのような考えが浸透することを願っている。

 本書は営業の人にも参考となるようなテクニックが紹介されており、分量も多くないので興味がある人はぜひ一読しておくとよいだろう。

残業しない技術/梅森 浩一
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 最近は自民党を離党して、新党を立ち上げたかと思えば、今度は民主党政権の閣僚として入閣するなど、節操がないようにも見えるというのが正直の印象である。

 しかし、政党などというのは所詮手段にすぎないと考える。本当に国民のため、国のためになるのであれば、どこの党に行こうが、どこの党で何をしようが、そんなことはどうでもいい。結果として国民を幸せに、国を平和で安全にできるのであれば、今回の筆者の行動は何ら責められるものではないと思う。

 そんな風に一見すると迷走しているように見られる筆者がまだ自民党時代に書かれた本書を読了した。

 本書は、阿部政権下において官房長官として政権を担った感想・真相やこれまでの自分自身の回想録がメインとなっている。

 そのように本書はいわゆる随筆的なものであり、何かを体系だてて主張するというものではないため、正直なところそこから何かを学び取るということは無かった。

 ただ、1つだけ参考になるとしたところは、著者が会社員時代の上司に言われたことで「人を説得するときは、内容を紙に書いていけ」というものだ。当たり前の内容と言えばそれまでだが、こういう基本的なことを疎かにしてしまうことが多いので、ここは自分自身も参考にしていきたいと思う。

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 東日本大震災から約半年。復興に向けて動き始めている時期なのかもしれないが、実際にはそうはいかない。それは財源など様々な理由があるかもしれないが、その大きなモノの一つに原発の問題がある。原発がいまだに収まらないため、福島には足を踏み入れることもできない。そのため、復興など考えることもできない、これが現実であろう。

 そして、少しずつではあるが、脱原発という動きが市民の間にも広がりつつある。様々な場所でデモが行われ、この方向に進むのかどうかの大きな分岐点にきつつあるのではないだろうか。しかし、それでも政治家や企業やマスコミは原発からの脱却には否定的である。原発に代わる代替エネルギーはない、コストがかかる、経済競争に負ける・・・、様々な主張を挙げ、原発を今後も稼働させることに躍起になっている。

 東日本大震災以降、政治が情報を隠していたこと、企業もそれに倣い情報を改ざんしていたこと、マスコミも広告主に都合の悪い報道は行わないなど、様々な瑕疵が明らかになり、もはや彼らの言うことは話半分にしか聞いていないが、それでも原発ありきでの情報に囲まれると、その考えに若干の不安を感じてしまう。

 そのように少しずつ原発を巡る一連の議論が分からなくなりつつある中、一度冷静にこの問題について学んでみようということで本書を読了した。

 私は、正しく原発についての知識を得るための3つのポイントを探すため、本書を読了した。

 1つ目は、「変わらない日本の行政官僚制」というものだ。

ここでは「フィード・イン・タリフ」、自然エネルギーによる電気の買い取り制度について指摘し、事実上骨抜き法案になっていることの危険性を指摘している。産業界、主に電力業界により条文に押し込まれた3年後の見直しというものだ。つまり、3年たてばこれを全て廃止することができる、つまり3年だけ我慢すれば、また元に戻せるという仕組みが埋め込まれているということだ。加えて、この制度は枠組みでしかなく具体的な実務運用は経産省の政省令に任されているため、そこでもスカスカにすることができるという。

 2つ目は、「なぜコスト高の原子力を経済界が容認するのか」というものだ。

 経団連や官僚は原発はコストが低く、新エネルギーはコストが高い、だから今後も原発を使わなければならない、と主張する。一見するとこれはもっともらしく感じるが、実はこれにも隠された秘密があり、原発を今後も作り続けることはコスト的にも割に合わなくなる時代がやってくるという。

 世界的には原発に対する安全要求が高まり、それを満たすためにはコスト増が避けられないという。本書ではコアキャッチャーという設備を入れることが必須となることにより、コストが上がるとされている。

 少なくとも、今回の原発事故で世界が原発の危険性を実体験してしまったことになり、ますます原発を使うことは厳しくなるだろう。そして、世界的に基準が上がればそれに伴い国内の基準も上げざるを得なくなり、維持のコスト増も上がるだろう。また、原発を輸出するということにもなれば当然その仕様を満たさなければならなくなり、その上で原発を作り、そしてこれから台頭してくるであろう、太陽電池などとの価格競争に向かわなければならないという中で、今後も原発を、人の命にかかわるようなリスクを抱えた商品を使わなければならない必要性が今後どこまで高まるのか正直疑問に感じざるを得ない。

 3つ目は、「肩書に弱い日本人」というものだ。

これは、原発とは関係ないくだりだが、原発事故後ネットで吹きあがったものの一つとされる「東電の子を仲間はずれにしよう」という点について著者はそれを批判し、組織と個人は切り離すべき、という見方をしている。

 この点に関しては、個人的には賛同できない。かなりの暴論になるが、自分の考えとしては、そのようなやり方でしか東電、組織は変えられないのではないかと思う。今は、東電は叩かれてはいるかもしれないが、別にそれでもこの企業は独占企業であり、事実上取引を引き上げられるというリスクもない。さらには国までもこの企業を守ろうとしているのだから、全く倒産というリスクもない。自分たちの足場が揺るがない以上、そこまで気にすることがないのが人間ではないかと思う。

 だからこそ、東電社員の子供を仲間はずれ、という考えが出てきたのではないだろうか。どんな人間でも自分の子供はかわいい。そこを突き、子供という点から一人一人に危機意識を持たせる、そして自分たちの現状を認識させる、それがこの発言の趣旨ではないだろうか。当然、これは禁じ手というか、あってはならないことだろうとは思うが、こういう手段をとることも、ごくごくごくわずかでも考えなければならないほど、今の東電というものには危機意識がないように感じられる。

 どこかのカード会社が、「お金で買えない価値がある」という広告を打っていたが、原発問題もこれにあてはまるのではないだろうか。経済界は原発はコストが安い(本書の立場でいけばこれもウソだが)、だから新エネルギーには移行できない、という。コストの問題は確かに考えなければならない。しかし、ここにはコストだけでは測れない大きな要因があるのではないだろうか。それがだめになった時に起こるリスクの大きさというものだ。原発がダメになると今のような状況になる。逆に太陽発電であれば何が起こるか。せいぜい、操業が止まるという位だろう。別にそれで命にかかわるということはほとんど考えられないだろう。金も大事だが、その最悪の場合に引き起こされるリスクが大きいのであればそれを避けるというのが、企業のコンプライアンスではないのかと考えられる。

 もはや今は企業に、政治には何が正しくて何が正しくないのかを判断することはできなくなっているのではないだろうか。それを正すのは一人一人だと思う。ダメな政治家は落選させ、おかしなことを平気で言う会社の製品は避ける等、一人一人ができることをやっていくことで社会をまっとうな方向に向かわせる。これが民主主義国家に生きる私たちの役割期待ではないだろうか。

原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)/宮台 真司
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