木下さんは何者か?の考察⑩(携帯読者用)
先日のことです。
その日、家には僕しかいませんでした。僕の母親は北海道旅行に行っており、父親も仕事でいません。昼過ぎに台所でひとり食事をしていたところ、近所のおじさんがやって来ました。
「たけちゃん、何してんの?」
このおじさんは、暇ができると僕の家に遊びに来ます。僕は仕事がたまっていたので相手をすることができず、おじさんは居間のソファーにゴロンと寝転びました。
食事を終えた僕は、2階の部屋に戻りました。原稿の締め切りは近いです。集中して仕事を始めたのですが、1時間ほどして、1階から「よっしゃー!」と聞こえてきたのです。
叫んだのはおじさんです。テレビで野球でも観ているのでしょう。僕はさして気にもせず仕事を再開させたのですが、10分ほどして再び「よっしゃー!」と聞こえてきたかと思えば、それから連続で妙な叫び声が耳に入ってきます。気になった僕は仕事を中断して1階に下りたところ、これ寝言やったんですよ。
ソファーで眠りながら叫んでるんですよ!寝息を立てながら急に「よっしゃー!」と声を張り上げているのです!
なんでやねん、お前!寝ながら叫ぶってどういうことやねん!
怖くなった僕はおじさんの体をさすりました。目を覚ましたおじさんに、「おっちゃん、『よっしゃー!』って叫んでたけど何の夢を見てたん?」と質問したところ、「タイ人に襲われてた」って言ったんですよ。
なんの夢やねん、それ!タイ人に襲われる夢ってなんやねん!
「芝職人のタイ人がハサミで襲ってきた……」
何者やねん、そいつ!何がどうなって芝職人選んでん、そのタイ人!そもそも「よっしゃー!」はなんやねん!襲われてんのになんでそんなうれしそうに叫ぶねん!
僕は意味がわかりません。いろいろと質問したものの、このおじさんはワケのわからないことばかり返してきます。何の夢なのかがまったく謎で、言ってる本人も自分で何を言ってるのかわかってない感じなのです。
このおじさんの名前は、木下さん。僕の近所に住む、「天然の天才」なのです。
日頃からおかしなことを連発し、つい先日も僕の家に現れたゴキブリを、床に置いてあるゴキブリホイホイをつかんで叩き始めたのです。
そんな使い方ないわ、ゴキブリホイホイに!そんな使い方するんやったら買う必要ないわ!
「このアホ!死ね、このアホ!」
お前もや!お前もアホやねん!お前は教科書載ってもおかしくないぐらいのアホやねん!
とにかく、おかしいのです。同じ人間とは思えない、奇人中の奇人なのです。
そこで今回は、「木下さんは何者か?」の考察⑩です。
木下さんは、うちの母親の同級生で66歳。ボロボロの自転車屋を経営し、奥さんとの共働きで、僕の小学校の同級生の息子(サラリーマン・既婚)と娘(フリーター)がいます。
このプロフィールを踏まえていただき、以下、木下さんにまつわるエピソードをご紹介します。信じがたいお話ばかりなのですが、すべて実話です。
検証エピソード①『常識力チェックⅡ』
木下さんは、中学校すらまともに出ていません。頭の悪さは尋常ではなく、僕は「常識力チェック」と題して、木下さんの知能をテストすることにしました。以前にも一度実施したことがあり、その時も『アメリカの首都は?』という質問に「ロンコン」と答えるなど、前代未聞の回答を連発したのです。
問題は1問10点で、都合10問です。僕の両親、ならびにほかの近所の人にもやらせることで、木下さんに怪しまれないようにカモフラージュしました。白紙回答はなしで、答えがわからなくても何かを書くように、と説明しました。
問題は、以下のような簡単なものばかりです。
『兵庫県の県庁所在地を答えなさい』
『人間の血液型を4種類答えなさい』
『織田信長を暗殺したのは誰?』
『サザエさん一家7名を全員答えなさい』
僕の母親を中心に、僕の近所は頭の悪い人が多いです。それでもみんな50点以上は取ったのですが、1人だけ当たり前のように0点を叩き出した奴がいるのです。
言わずもがな、木下さんです。
もうね、前回にもましてひどいんですよ、間違い方が。まず、『兵庫県の県庁所在地を答えなさい』で、こんなもん、兵庫県に住む僕らが間違いようがないですよ。兵庫が地元じゃなくても「神戸」なんて誰でも答えられる話なのですが、木下さん、「兵庫県ちょう所」って書いてるんですよ。
なんやねん、それ!兵庫県ちょう所!?どこ、それ!?ていうか、何それ!?で、問題の中に「県庁」ってあるんやから庁ぐらい漢字で書けよ!
次に、『人間の血液型を4種類答えなさい』で、これも間違いようがないですよ。全員が「A、B、AB、O」と正解だったのですが、木下さんだけがいきなり「B」と書き、次に「C」、その次が「A」で、最後に「ジェット」と書いているのです。
何言ってんねん、お前!なんで最後だけそんなんになんねん!ていうか枠からはずれすぎやねん、お前の答え!常識という枠からはずれすぎやねん!間違ってもいいから枠の中には入ってこいよ、せめて!
続いて、『織田信長を暗殺したのは誰?』で、これはやや難しいです。実際、僕の母親は「武智なんとか」と回答するなど、年配の方であれば知らない人がいてもおかしくありません。ですので僕の母親のようにどこかかすっている、もしくは「徳川家康」「豊臣秀吉」ぐらいなら理解できるのですが、木下さんが以下の回答をしたのです。
「中川はくしゃく」
誰やねん、中川伯爵って!ちょっと待って、信長ってそんな平凡な名前の奴に殺されたん!?そもそもこの時代の日本になんで伯爵を名乗る奴がおんの!?
「中川はくしゃく。」
句読点ついてるやんけ、モーニング娘みたいに!そんなチャラい奴が信長の首取れるか、お前!
それでも、これらは、まだましです。問題は『サザエさん一家7名を全員答えなさい』で、正解だったのは「かつおくん(なぜかくんづけ)」だけです。残り6人はむちゃくちゃで、以下のような信じがたい名前が書かれていたのです。
「たらコ」
たらおや!で、なんで「こ」だけカタカナやねん!
「猫の子」
タマのこと!?タマを家族に入れてもうてんの!?
「沖縄さん」
誰やねん、そいつ!沖縄さん!?そんなウミンチュ丸出しの奴おったっけ、サザエさん一家に!?
「のもちゃん」
野茂がおった!まさかの野茂がおった、サザエさん一家に!なんや、「来週のサザエさんは、かつお、トルネードに巻き込まれる!」とかそんなんか!?
「木下さん」
お前やんけ!お前やろ、木下って!ここ名前書く欄と違うわ!なんでこんなところに自分の名前記入すんねん!
「チャイ」
書くなもう、お前!もうこれ以上書くな!採点する俺が体壊すからもう書かんといて!白紙の回答渡してくれたらそれで10点やるから!
これ、マジですからね。ほかにも信じがたい誤答の連発で、なにしろ『日本国憲法の3大特色とは、国民主権、戦争放棄ともう1つは?』という問題に、「あくしゅ」と答えてましたから。
検証エピソード②『丼屋』
これは、つい先日のお話です。
その日の昼過ぎに、木下さんが僕の家にやって来ました。木下さんはニヤニヤとしています。台所のテーブルでココアを飲む僕の隣に座り、「すごくおいしい丼屋を見つけた!」と報告してきたのです。
訊くと、そのお店はまぐろ丼が絶品らしいです。僕は丼ものは全部好きで、まぐろ丼も大好物です。昼ごはんを食べていなかったことから、すぐにでも行くことにしました。
ですが、木下さんは教えてくれません。「内緒や!俺も苦労して見つけたからな!」と言って、お店の情報を一切くれません。僕が何度も頭を下げたところ、「じゃあ今からそこに連れて行ったるから俺の分をおごってくれ!」と、吹っかけてきやがったのです。
僕は了承しました。イラッとしたものの、丼の値段なんてしれているでしょう。お店は少し遠いらしいので、ともに原付きに乗って向かうことになりました。
僕らは近くの国道に乗りつけました。僕は木下さんの指示に従って後ろを走っていたのですが、5分、10分走っても到着しません。木下さんは病的な方向音痴です。方向音痴以前の問題で、家に向かって帰ってるときに、自分の家の前を通りすぎたこともあるほどなのです。
「おっちゃん、店の名前はなんて言うの?」
不安になった僕は訊きました。すると木下さんが、「忘れた」と言いやがったのです。
「忘れたじゃないやろ!」
「大丈夫や。場所はちゃんと覚えてるから」
「ほんまに場所知ってんの?」
「知ってるわ」
「間違いないな?」
「ほんまや言うてるやろ!」
あまり問いただすと木下さんは怒ります。僕は言葉を呑み込み、これ以上は訊かないことにしました。
家を出て15分が経過しました。交差点を何度も曲がり、民家のあいだの細道を行かされることもありました。気温は30℃を超えています。Tシャツは汗びっしょりで、僕はあと5分走って見つからなかったら帰ろうと決断したところ、木下さんが「あった!そこの交差点を左に曲がったところや!」と叫んだのです。
僕は胸を撫で下ろしました。朝ごはんも食べていなかったことからお腹はペコペコです。絶品のまぐろ丼を想像して僕は意気揚々と左折したのですが、そこ、すき家やったんですよ。
チェーン店やんけ!この国の丼を牛耳ってる一番多いチェーン店やんけ!
「ここや、ここ!」
ここややあるか、お前!なんでバイクで20分もかけてすき家に行かないとあかんねん!お前の普段の行動範囲が狭いだけでどこにでもあるわ、こんな店!
「ここ、穴場やぞ!」
穴場と違うわ、こんなチェーン店!なんやったらここに来るまでに2軒あったわ、すき家!すき家の角を曲がることすらあったわ!
しかも木下さん、すき家でカレー食いましたからね。「まぐろ丼がうまい!」と豪語してたくせに、普通にカレーを注文してましたから。
検証エピソード③『アメンコ』
僕の近所では、60歳を超えている男性は月に一度、公園の掃除をしなければなりません。僕の地域の決まりごとで、朝の8時から掃除を始めます。輪番制で、毎日曜日に老人がたくさん集まって公園のゴミを片付けるのです。
僕の父親は現在70歳です。高齢のため、あまり無理をさせたくはありません。僕が空いているときは、父親に代わって僕が掃除の係を引き受けていました。
今年の春先のことです。その日は4月の第1日曜日で、僕は暇だったことから、父親に代わって掃除の係を引き受けました。
公園には桜が咲いています。掃除係は20人近くおり、孫を連れてきて遊ばせている人もいます。木下さんもこの日の担当だったため、2人で桜を見ながら、ホウキとチリトリを使ってゴミを片付けていました。
しばらくして、子供の2人組が現れました。小学校高学年ぐらいの男の子2人で、妙な歌を口ずさみ始めました。
「♪アメンコ!アメンコ!女のアメンコ!」
公園の中をうろちょろしながら、これを2人で延々と口ずさんでいます。ニヤニヤとしながら何度も歌うので、気になった僕は「アメンコって何?」と訊いたところ、アメンコが女性器のことだというのが判明したのです。
女性器の名称をストレートに口ずさんでいたら、学校の先生に怒られたらしいです。アメンコは彼らの造語で、この歌が学校で流行っているそうなのです。
このアメンコソングには、ポニョの歌のような洗脳力があります。僕の耳から離れず、それは木下さんも同じなのでしょう。木下さんが「♪アメンコ!アメンコ!女のアメンコ!」と歌いながらゴミを片付け始めたのです。
それでも「アメンコ」にしていることから、それほど害はありません。僕は木下さんにその意味を伝えることはせず、掃除を続行しました。
10分ほどして、たくさんの子供が公園にやって来ました。若い女性が先導しており、幼稚園の子供が遠足に来たのでしょう。ジャングルジムに犬がつながれていたことから、たくさんの子供が犬の周りに集まりました。
「♪アメンコ!アメンコ!女のアメンコ!」
木下さんがアメンコを口ずさみながら子供に近づきました。木下さんは子供が大好きです。子供の頭を撫でながらアメンコを歌っていたのですが、何度も口ずさんでいるので混乱したのでしょう。途中から、「♪アメンコ!アメンコ!女のアマンコ!」って言いだしたんですよ!
勘弁してくれよ、おい!シャレならんわ、こいつ!
完全にアマンコって言ってるんですよ!しかも途中から、「♪アマンコ!アマンコ!女のアマンコ!」と全部アマンコで歌っているのです!
お前、何考えてんねん!警察に通報されてもおかしくないねんぞ!
「おっちゃん、アマンコって何?」
「内緒!それは子供には教えられへん!」
変態やんけ、完全に!そんな言い方したら確信犯で歌ってるみたいやんけ!
「おっちゃん、こっちに来い!!!」
僕は慌てて木下さんを連れ戻したのですが、引率の先生は木下さんから子供を遠ざけましたからね。「みんな、こっちにおいで!いいからこっちにおいで!」と、木下さんからおもいっきり離れている場所に移動させましたから。
検証エピソード④『ガム棒』
木下さんは貧乏です。小遣いは月8000円で、自転車屋も昔から儲かっていません。奥さんに無理言ってもらうなどして、なんとか生活しているのです。
僕が高校生のときに、木下さんが夜な夜な町を徘徊し始めました。道すがらにある自動販売機には、お釣り口に小銭が入っていることがあります。お釣りを取り忘れた人がたまにおり、木下さんはそれを頂戴しようとして目に入るすべての自販機に手を突っ込み始めたのです。
木下さんの家族からしたら、恥ずかしいです。ですが、注意しても聞きません。僕の母親が本気で怒ったことで、なんとかやめてくれました。
それから15年以上経った、昨夏のことです。
その日の深夜1時頃に、僕はタクシーで帰宅しました。タバコを切らしていたので近くの自販機に足を運んだところ、木下さんがいたのです。
木下さんは、手に妙な物体を握っています。自販機のお釣り口にそれを差し込んでぐるりと一周させています。
「おっちゃん、何してんの?」
僕に気づいた木下さんがその物体を後ろに隠しました。僕は木下さんの手をつかんで確認したところ、割り箸の先に、大量のガムが引っ付けられています。20枚、30枚と噛んだガムが引っ付けられており、割り箸にブロッコリーが刺さっているかのようなのです。
「おっちゃん、これ何?」
「……」
「いいから教えろ、これ何?」
「……これはガム棒や」
なんでもこのガム棒があれば、お釣り口に手を突っ込む必要はないそうです。小銭が入っていればガムの粘着力で引っ付いてくるらしく、問い詰めたところ、半年以上も前からこのガム棒を使って小銭を探しているそうなのです。
「たけちゃん、お願いやから誰にも言わんといて!」
木下さんの奥さんに報告したら、確実に怒られます。涙ながらにお願いされたため黙っておいてあげることにしたのですが、ほどなくして僕らの近くに、ボロボロの服を着たホームレスが現れたのです。
そのホームレスを見た瞬間、木下さんの表情が急にきりりとしました。勇ましい顔つきになり、そのホームレスが木下さんに「お疲れさまです!」とあいさつをしてきたのです。
言われた木下さんは、「おうっ」と、偉そうに返しました。「どうや?」と訊く木下さんに、そのホームレスは「さっぱりっすわ!」と返すなど、やけに仲がいいのです。
このホームレスは、僕の近所に最近居つき始めた人です。僕らのそばにある自販機の下を覗いており、木下さんは自分がこの地域のお釣り泥棒の先駆者であるのをいいことに、やたらと先輩風を吹かしているのです。
どんな縦の関係やねん、これ!聞いたことないわ、こんなしょうもない上下関係!
「しっかりやれよ」
「ありがとうございます!」
なんでそんな偉そうやねん、お前!偉そうにする理由がわからん!
このホームレスは、お釣り口には一切手を出しません。訊くと、木下さんとの棲み分けがあるそうです。木下さんはお釣り口、ホームレスは自販機の下と決められているらしく、木下さんはガム棒でお釣り口を、ホームレスは長い木の棒で自販機の下をつつくことだけを許されているらしいのです。
その日から4ヵ月たった、昨年末のことです。
僕はその日、行きつけのラーメン屋に行くために原付きバイクを走らせていました。そのラーメン屋は、僕の家からはかなり距離があります。到着して駐車場にバイクを停車させたところ、駐車場の近くに例のホームレスがいます。住み家を変更したのか僕の近所を離れている様子で、手にはガム棒を持っています。そのガム棒は木下さんが持っていたガム棒だったため、翌日、僕の家に来た木下さんにそのことを報告しました。
「おっちゃん、こないだまでうちの近所にいたホームレス、俺の行きつけのラーメン屋の近くにいたで」
「そうか」
「手に、おっちゃんのガム棒を持ってたで」
「そうか。やっとるか」
木下さんは、ホームレスの活躍ぶりを聞いて満足そうな表情を浮かべました。僕が「なんでおっちゃんのガム棒を持ってんの?」と質問したところ、めちゃくちゃ得意げな顔で「引っ越すって言うから、餞別にやった」って言ったんですよ。
なんの餞別やねん、それ!いらんわ、そんなしょうもない餞別!
「俺はいつだってあの棒を作れる。でもあいつがあの棒を作ることは無理なんや!」
全然かっこよくないわ!決め顔で言ってるけど全然かっこよくないわ!
このあと木下さん、「今度、あいつの動きをチェックしに行ってくる!」って言いましたからね。弟子を見守る師匠のようにやたらと得意げに言いましたから。
検証エピソード⑤『吐いた』
これは、僕が中学校3年生のときのお話です。
その年の秋に、僕は交通事故に遭いました。僕は自転車通学をしており、上り坂から下ってくる車と正面衝突してしまったのです。
車のフロントと額が接触し、吹っ飛ばされた衝撃で右ヒザの皿を骨折しました。頭から軽く血が出たものの、車のほうにそれほどスピードがなかったことから、検査をしても頭部に異常はありません。
「入院する必要はありません。家に帰って、もし嘔吐することがあったら、もう一度病院に来てください」
医者が釘を刺してきます。嘔吐するようなら精密な検査が必要になるらしく、不安に駆られながらも、ギプスをはめられた僕は母親が運転する車で家に帰りました。
僕の父親は会社に戻り、僕は自分の部屋のベッドに入りました。時刻はお昼を過ぎています。何かあったらすぐに対応できるようにと、部屋のドアは半開きにしてあります。疲れた僕はうとうとし始めたのですが、騒ぎを聞きつけた木下さんが僕の部屋にやって来たのです。
「たけちゃん、大丈夫か?大丈夫?ほんまに大丈夫!?」
木下さんは声を張り上げています。「大丈夫やで」と返しても聞かず、何度も僕の体をさすってきます。僕の母親に注意されて部屋を出たものの、30分おきにやって来ては「大丈夫?」と訊いてくるのです。
大丈夫や言うてるやろ、お前!お前のせいで寝られへんやんけ、俺!
「大丈夫?どこかケガしてない?」
ケガしてん、俺!ケガしたから寝とんねん、俺!
それでも、本人に悪気はありません。僕はうっとうしいながらも、その都度優しく言葉を返していました。
夕方になり、僕の母親は買物に行きました。家には木下さんしかいません。僕は小便をするために松葉杖でトイレに向かったところ、突然、嘔吐を催しました。頭がくらくらとし、大便器の中に吐いてしまったのです。
「大丈夫か!?たけちゃん、大丈夫か!?」
オロオロオロオロと吐き続ける僕のところに、木下さんが来ました。僕の母親から事情を聞いていたのでしょう。騒ぎ始め、「吐いたんか?たけちゃん、吐いたんか?」と、吐いてる僕を見ながら僕に吐いたかどうかを確認し始めたのです。
見たらわかるやろ、お前!そんなん訊かんでも吐いてるやろ、俺!
「吐いたん?」
「吐いた」
「吐いたんか?」
「吐いた」
「お医者さんが『吐いたら病院に来なさい』って言ってたらしいけど吐いたんか?」
吐いた言うてるやろ、お前!なんやったらお前、吐いてる俺の真横におるやろ!
「吐いた吐いた!たけちゃんが吐いた吐いた吐いた吐いた吐いた!」
静かにせいや、お前!イッシー発見したオバハンよりもうるさいやんけ、こいつ!
「あかん、ふーちゃん(僕の母親)がおらへん!たけちゃん、俺、救急車呼ぶわ!」
「大丈夫や!お母さんが帰ってくるまで待ってたらいいから!」
「あかん!ふーちゃんなんて待ってられへん!えーと、救急車、救急車。あっもしもし、木下です!」
誰やねん、お前!相手はお前のこと知らんわ、ボケ!
「たけちゃんが吐いた!たけちゃんが吐いたから!」
ちゃんと説明せいや最初っから!電話口でいきなりそんなこと言われてもなんのことかわからんやろ!
「おっちゃん、ちゃんと事情を説明しろ!」
「たけちゃんが車に撥ねられたんです!」
話ややこしなるわ!そこの事情はいらんねん!なぜ救急車を呼ぶのかをきちんと説明せいや!
「おっちゃん、ちょっと電話代われ!」
「わかった」
「もしもし?」
「もしもし、車は逃げたんですか?」
警察やんけ、これ!119番じゃなくて110番やんけ、これ!
「いや、違います違います!」
「吐いた吐いた!たけちゃんが吐いた吐いた!」
「すいません、なんでもないんで!」
「吐いた吐いた吐いた!」
「おまわりさんすいません、近所のおじさんが間違って電話したんです!」
「吐いた吐いた吐いオロオロオロオロ!」
お前が吐いとるやんけ!叫びすぎてお前が吐いとるやんけ!
「とりあえず電話切りますね!ガチャッ!」
「オロオロオロオロ!オロオロオロオロ!」
「おっちゃん、大丈夫?」
俺が心配してるやんけ!なんで俺のほうが心配しないとあかんねん!
「たけちゃん、水ちょうだい?」
なんで俺がそんなことしないとあかんねん!俺、松葉杖やぞ、コラ!ていうか何なんマジでお前、さっきから!?これを理由に入院しそうやねんけど、俺!?
しばらくして、僕の母親が家に帰ってきました。母親に連れられて病院に行ったのですが、僕は木下さんが吐いたゲロを思い出して、車内で吐きました。交通事故とは関係なく普通にもらいゲロをしてしまい、医者に「吐いた理由を詳しく教えて?」と訊かれてどう答えたらいいかわからなかったのです……。
以上が、木下さんにまつわるエピソードです。
毎度同様、木下さんのアホさだけは手のつけようがありません。ついさっきも僕に、「サバンナって何県にあんの?」と質問してきましたから……。