流すのがもったいないほど芸術性の高いウンコが出た場合はどうするべきか?の考察(パソコン読者用)
※2007年・5月6日の記事を再々編集
先日、仕事を終えた僕は、大阪の街をぶらぶらしていました。
急に便意を催したので、近くの本屋さんのトイレに入りました。
このトイレは、僕の行きつけです。すばらしいトイレで、清潔なのはもちろんのこと、室内には、いい感じのBGMが流れています。ここで用を足す場合は、毎回、快便なのです。
あまりに居心地がいいので、知り合いに教えてあげました。過去、同じ時間にその知り合いに会ったことがあるほどで、文字通り、「穴場」なのです。
僕はこのトイレを、「神の部屋」と名づけました。わざわざ遠回りしてまで、利用しているほどなのです。
神が宿る場所だけあって、時として、奇跡が起きます。
その日、僕は人生で経験したことがないほどの、とんでもないウンコが出たのです。
途中で切れることなく、1本で出し切りました。長さは30センチを優に越えており、色艶も半端ではありません。「どこの化粧品をお使いですか?」と訊きたくなるほどで、なんだったら、ちょっと色っぽいのです。
とぐろの巻きっぷりが、ソファーに寝そべるレースクイーンに見えなくもないです。これを見た酔っ払いが、「わしと今晩どない?」と口にしても驚けません。とにかくすばらしいウンコで、放たれるオーラに、目がやられそうなほどなのです。
みなさまも、このような「作品」に出会ったことがあるはずです。
そしてその時、こう思わずにはいられなかったでしょう。
「このウンコ、流すには惜しい……」
今回の僕も、流すのに躊躇しました。
もったいない気がしてならず、そのまま流したら、神に罰を与えられそうな気がしたのです。
神がかり的なウンコが出たら、何らかの対処をしなければなりません。変な別れ方をしてしまうと、その別れを引きずります。イヤな後味が残り、その後の仕事に支障をきたす可能性も0ではないのです。
そこで今回は、「流すのがもったいないほど芸術性の高いウンコが出た場合はどうするべきか?」の考察です。
当たり前ですが、最終的に、そのウンコは流します。芸術性の高い作品とはいえ、そのままにしておくわけにはいきません。
「どうお別れするべきか」
この考え方のもと、別れ方を工夫します。そうすることで、自分の心に、よい後味が残るのです。
以下、芸術性の高いウンコとお別れをする方法をご紹介します。
①写メールで撮る
みなさまも1度は、考えたことがあるはずです。「写真を撮りたいな……」と。
迷う必要はありません。ここはおもいきって、携帯で写真に収めましょう。
これはある種の「旅行写真」です。「腸を駆け抜けた=旅行」で、このウンコは旅先で出会った「日焼けした旅人」なのです。
「旅行先で知り合った人と写真を撮って何が悪いの?」
こう考えて、開き直りましょう。
それでも、やってることは普通ではありません。携帯に保存しておいて誰かに見られたら、めちゃくちゃ恥ずかしいです。「これはうちの犬です。かわいいでしょ?」と見せた写真が誤ってウンコの写真だったら、確実に引かれます。「う、うちは、トグロ犬なんです!」と訳のわからないことを口にするしかないでしょう。
ですが、このようなリスクを背負っても、写真に残しておきたいものです。いつか自分が重い病に倒れた時に見て、「俺は昔、こんなすばらしいものを出せたのか!」と、自分を奮起させることもできるのですから。
今回の僕も、何回、携帯電話を握りしめたことか。
これほどの完成度だともう、理屈ではありません。手元に残しておきたくて仕方がないんですね。
写メールに撮って保存しておくことを、僕は否定しません。オススメはしませんが、撮った人間だとて、卑下されるものではないでしょう。
②添い寝をして2人だけの時間を過ごし、思い出にする
これは和式限定ですが、オススメです。
便器の横に寝転び、ヒジをついてウンコに添い寝をすることで、2人だけの思い出を作るのです。
便器の周囲を、ベッドだと、考えます。ベッドの中で2人だけの時間を過ごせば、短時間だとて、交際したことになります。心のアルバムに思い出を残すことができ、恋愛と一緒で、思い出があるほうが別れは辛くないのです。
ウンコに対し、「ウン美」「ウン男」と名前をつけます。
「ウン美、照れてないで、何か言えよ?」
「ウン男さん、やけに日焼けしてるけど、海にでも行ったの?」
このように会話をすれば、素敵な思い出になるでしょう。
万が一、不審に思った警備員にドアをノックされても、「2人の時間を邪魔するな!」「ドアを叩くな!警察を呼ぶぞ!」などと、言い返してください。本当に神がかったウンコなら、警備員は、以下のように納得するはずです。
「(ドアを開けて)申し訳ないですけど、2人っきりの時間を邪魔しないでもらえますかね?」
「いや、1人でしょ?」
「2人や!よく見ろ、このウンコを?」
「なんであなたのウンコを見ないといけないんですか!」
「(警備員の首をつかんで)いいから、黙って見ろ!?」
「……」
「これでも1人やと言うんですか?」
「……」
「これでも1人やと言うんですか!?」
「2人です……」
このようにちゃんと説明すれば、警備員もわかってくれるはずです。
やがて、別れの時間がやってきます。
最後は、「ありがとう!俺、お前と出会えてよかったよ!」「違うんだよ!俺にお前はもったいなすぎるんだよ!」などと言ってお別れをしてください。
一時とはいえ、恋人との思い出ができました。何もしないでお別れするよりも、はるかに気持ちはスッキリするでしょう。
③ウンコを見ながら、素敵な恋愛の妄想にふける
これは、②を発展させた方法です。
添い寝に至るまでに、時間をかけて、ウンコと「脳内デート」をします。自分が理想とする恋愛を頭の中で繰り広げ、デートの総仕上げとして、「肉体関係=添い寝」をします。添い寝だけではなく、紆余曲折を経ての別れなので、心に残る思い出は②以上のものとなるのです。
脳内デートの様子は、各人の理想でOK。ですが僕としては、東京ラブストーリーならぬ、「東京マキグソーリー」がオススメです。
あなたが女性なら、相手の男性を永尾完治ならぬ「長いウンチ」と見立てます。「♪何から流せばいいのか わからないまま時は流れて 浮かんでは消えていく……」と、『マキグソーリーは突然に』を脳内に流しながら妄想してください。
デートをし、時には「お前の愛は重いんだよ!」「よそに行っちゃうよ!」などとケンカをしながらも、最終的に2人は結ばれます。この時、赤名リカに粉するあなたは、東京ラブストーリーと同様、長いウンチにこう告げてください。
「ウーンチ、S○Xしよう!」
②同様、あなたはウンチに添い寝をします。この脳内デートがあるだけで、交際に深みが出るのです。
やがて、別れの時がきます。
この時もドラマさながらに、「笑ってさよならしよう!」と口にします。ドアを開けて出ても再び振り返り、「ウーンチ!」と叫んで、もう1度ウンチに会いに行ってください。
ここまでやれば、あなたの心に、いい思い出として残ります。隣に誰かがいれば、「隣の便器の奴、何をぶつぶつ言ってんの……」と不審がられるものの、何もしなかった時のようなイヤな後味はないでしょう。
④卒業式のように、格式ばった「儀式」をする
②や③ができないというシャイな方に、これはオススメです。
まず、最低10分はウンコを見つめて、彼・彼女を脳裏に焼きつけます。
「お前に出会えてよかった!」
「お前がいたから、健康である今の俺がいるんだ!」
心でこのようにつぶやきながら、相手をリスペクトしてください。
そして便器のレバーを押す瞬間、こうつぶやくのです。
「ありがとう……」
謝意というのは、必ずしも、多くの言葉を必要としません。たったひと言のほうが時として、相手に伝わることがあります。葬式においても、冗長なあいさつをするより黙想で見送るほうが、相手や自分の心に残るのです。
その後、ウンコに向かって、敬礼をしましょう。
そして敬礼終わりに、レクイエムの歌を口にします。
「見事なウンコを流すのは惜しい!」という気持ちを表現した曲。
これは、中島みゆきの『時代』しかありません。
♪そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわるまわるよ時代はまわる 別れと出会いをくり返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれかわってめぐりあうよ
これらのように、別れを「儀式化」するのです。
この儀式は卒業式と同じで、別れではなく、「旅立ち」です。ちゃんと儀式を行ったことが、スッキリした気分で、お互いを未来へと旅立たせるのです。
なにより、家族の最後を看取るときにも似て、「最後まで尽くした=やれることはやった」という満足感からも、後悔することはないでしょう。
そして、最後。
僕は先日、これを実践しました。最終的に流してお別れをしたものの、現在の僕の心はスッキリとしています。
⑤人に見せる
トイレにこもって考えまくった結果、僕は人を呼んで、見せることにしました。
僕には、相手を納得させるだけの「作品」を出したという、自負があります。作品のレベルの高さに、「見せて魅せる勝算」があったのです。
僕は、本屋さんの近くに住んでいる後輩に、トイレの中から、携帯で電話をしました。ですが、「俺のウンコを見に来てくれ?」と言っても来てくれないでしょうから、そのことを伏せておいたのです。
「もしもし?ごめん、寝てた?」
「久し振りの休みやったんで寝てました……」
「忙しいの、最近?」
「はい。帯(月~金曜のテレビ番組)のADに入ったんで、3週間ぶりの休みです」
「そうか。ただな、すごいもんがあるぞ」
「えっ?」
「いいから来てみ。来たらわかるから」
「……何なんですか?」
「ごちゃごちゃ言うな!来たらわかるから!」
「ちょっと教えてくださいよ!」
「言う必要がないねん、これは!とにかく見てくれ!それしか言いようがない!これを見たら人生観が変わるから!」
「……わかりました。今、どこですか?」
「○○○書店や」
「本屋ですか?」
「そうや。そこに着いたら電話をくれ!じゃあな!」
40分後。彼が本屋にやって来ました。
「着きました」
「そうか。2階のトイレに来てくれ」
「神の部屋ですか?」
「そうや。神の部屋の1番奥のトイレにいるから」
「……わかりました」
やがて眠そうにした彼が、僕のところに来ました。
「おはようございます!」
「おはよう」
「何なんですか?」
「いいから、これを見てみ?」
「えっ?」
「いいから中に入って、便器を見てみろ!」
小便をしている人が、「何なん、こいつら……」みたいな顔で僕らを見ています。ですが、この作品の前には、迷いなど一瞬にして消え去ります。
「いいから見ろ!見たらわかるから!」
「……わかりました。見たらいいんでしょ」
こう言って中に入り、僕の作品を見て、彼は言いましたよ。2階のこの場所から1階に響き渡るような大声で、こう叫んだのです。
「アホやろ、あんた!!!」
僕は、「すごいですね、このウンコ!」と返ってくるのを期待していました。8歳も年下の後輩に、ため口でキレられたのです。
「歳いくつやねん、あんた!」とボロクソだったのですが、さすがに神の部屋で出た神のウンコですから、話せばわかります。僕の作戦は間違っておらず、神の力は、人の言論を封殺してしまうほどの力を持ち合わせていたのです。
「あのねバスコさん、僕、今日しか休みがないんですよ!ほんまに、ゆっくり寝られるのは今日だけなんですよ!」
「いいから、よく見てみ?」
「はっ?」
「よく見てみろ、このウンコを!作品と思って観賞してみろ!」
「見たくないですよ!」
「いいから見ろ!(小便をしている人に)すいません、怪しいもんじゃないんで!ごちゃごちゃ言わずに、じっくりと見てみろ!」
「(まじまじと見る)」
「どうや?」
「……」
「どうやねん?」
「……たしかに、すごいですね」
「すごいやろ?」
「よく見たらすごいですね、このウンコ!これ、バスコさんがしたんですか?」
「当たり前や!俺しかできひんわ、こんなもん!」
「このウンコ、めちゃくちゃでかいですね!」
「でかいやろ。艶はどうや?」
「テカテカです」
「色は?」
「黄金です」
「形は?」
「完璧です」
「そうやろ!来てよかったやろ?」
「いや、来てよかったとは思わないですけど、たしかにすごいですね!」
「俺の気持ちがわかるか?」
「はっ?」
「人に見せたくなる、俺の気持ちがわかるやろ!?」
「……正直、わかりますね」
このように、「ゲスの極みを作品の完成度が凌駕した」のです。
それを証拠に、このウンコを見たあとに僕が「せっかく来てくれたから、飯をおごったるわ!そこのカレー屋に行かへん?」と訊いたところ、彼は「ありがとうございます!」と答えたのです。
そう、これは彼が、「僕のウンコをウンコとして見ていない」ということを表しているのです。
ウンコを見たあとにカレーを食べるのですから、普通は、「ほかのもんを食べましょうよ!」と言うはずです。僕の作品のアート感に魅せられたため、彼にはウンコを見たという実感がないんですね。
神レベルのウンコが出た時、人は、誰かに見せたくなる衝動に駆られます。惜しいハズレ馬券を人に見せたくなるのも同じ。人は、「すごいことを人に知らせたくなる症候群」という病気なのです。
したがって、人を呼んで見せるしかありません。
なにより、「俺、こないだ、30センチのウンコが出てんやんか」「ウソつけよ!」「ほんまや!だって俺、人に見せたから!なんだったら、そいつを呼ぼうか?」と「証拠ができる」ので、あなたの発言は信憑性を帯びることになるのです。
「人を呼んで見せる。そして、魅せる」
これが、今回の考察の結論です。
もちろん、人に見せるには、勇気がいります。見せられたほうも、今回のような反応を示してくれるとはかぎりません。
ですが、量・形・色・艶の4拍子がそろった作品なら、勇気を出して、人に見せてください。「魅せる」ことができれば、あなたはその後、別れを引きずることはないのです。
呼ぶだけ呼んで拒否されたら、その時はその時です。少なくとも、そうするために努力したという事実が、口惜しい気持ちを緩和してくれます。
みなさま、これで心配いりません。今後、芸術性の高いウンコが出ても、笑って楽しく、お別れができます。今回の記事を頭の片隅にでも置いていただき、実行に移しましょう。
ちなみにですが、僕は、健常者です。