▼天下五剣
天下五剣(てんがごけん)とは、数ある日本刀の中で室町時代頃より特に名刀といわれた5振の名物の総称。
なお、具体的に刀剣古書籍において、「天下五剣」の名称が用いられた事実はない。本阿弥光遜、日州ほか明治~昭和に活躍した刀剣研究家が「天下五剣」の名称を用いている事実(その著書に記載あり)から、明治以降、自然発生したものと考えられる。
日本刀研究家の佐藤寒山は、天下五剣は由緒伝来も加味されて選ばれているので、もし5振の最も優れた名刀を改めて選ぶとすれば、この通りにはならないだろうと述べている。また、数珠丸恒次については、古備前派の恒次ではないか?との見解を示している。
出典
童子切安綱、三日月宗近、大典太光世、鬼丸国綱、数珠丸恒次。
この五振りは天下五剣と称され、それぞれに非常に面白い逸話などがある
●童子切(童子切安綱)
童子切安綱(どうじぎりやすつな)刃長79.9cm・反り2.7cm・銘『安綱』。作者・安綱(やすつな、生没年未詳)は、平安時代中期の伯耆国大原の刀工。大原安綱とも言う。作られた年代は、日本の刀が直刀から反りのある日本刀(湾刀)に移行する平安時代中期と推定
天下五剣の中で『鬼を斬った』刀は二振りで童子切安綱と鬼丸国綱の二振りである。童子切安綱の物々しい名前の由来は、酒呑童子なる鬼(山賊)を源氏の源頼光がこの太刀を使い退治したことからつけられた。 多分にフィクションを含んだこの話だが、それでも『童子切』と呼ばれ続けたのは、この太刀が持つ見事な迫力の為だろう。
ちなみにこの童子切安綱、過去に試し斬りされたことがあるのだが、そのときは六つ胴の切れ味を誇った。鬼退治という話は数多くのものが存在し、この童子切安綱も、鬼丸国綱、鬼切(鬼切丸)とよく誤認識される。
●鬼丸(鬼丸国綱)
皇室御物である日本刀。鬼丸国綱(おにまるくにつな)とも呼ばれる。京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。刃長78.2cm、反り3.2cm。
もう一振りの鬼を斬った刀、鬼丸国綱。こちらの有名な話はこの刀の持ち主だった北条時政が病に倒れたときの話。天下を平定した鎌倉幕府。初代執権であった時政はあるときから夢に鬼が出てくるようになり、病に倒れる。 いろいろ手を尽くして鬼を払おうとするがうまくいかず、逆にひどくなる一方だった。 そんなある夜、時政の刀(つまり後の鬼丸国綱)が夢に老人の姿で出てきてこう言った。
「わが身が汚れている。このままでは汝を救うことができない」と。
翌日、刀を清めさせ、抜き身で部屋に立てかけておいた刀はひとりでに倒れた。そのとき、この刀は部屋にあった火鉢を支えている小鬼の像の首を落としたのだ。それ以来、時政の病は快方に向かい彼はこの太刀を鬼丸と名付けた。
●三日月宗近
三日月宗近(みかづきむねちか)刃長80.0cm、反り2.7cm。平安時代の刀工、三条宗近の作
天下五剣の中でも最も美しいとも評され、「名物中の名物」とも呼び慣わされた。将軍家の秘蔵の名刀として継承され、永禄8年(1565年)、松永久秀と三好三人衆が二条御所を襲撃して将軍足利義輝を殺害した(永禄の変)際には義輝はこの三日月宗近を振るって奮戦したと伝えられている。変の後に戦利品として三好政康の手に渡ったとされ、政康から豊臣秀吉に献上された後、豊臣秀吉の正室高台院(寧子)が所持し、その後遺品として徳川秀忠に贈られ以来、徳川将軍家の所蔵となっていた。
●大典太(大典太光世)
大典太光世(おおてんたみつよ)刃長66.1cm、先身幅2.5cm、元身幅3.5cm、反り2.7cm平安時代後期の筑後の刀工・典太光世の作。
豊臣秀吉が伏見城に宿泊したときである。前田利家たちが話をしていると誰かが怪談話を始めた。
「千畳敷の間の廊下を歩いていると刀の鞘をつかまれて進めなくなる。」
利家はその話を笑い飛ばし、自分がいって確かめると言い出した。その証拠に廊下の端に他の大名の扇子を置いてくると話が決まったところで利家は秀吉に呼び出される。 その話を聞いた秀吉は利家の勇気に感服し大典太を持たせたのである。利家は難なく千畳敷の間の廊下を渡りきり、証拠の扇子を置いた。秀吉は褒美として大典太を利家に授けた
●数珠丸(数珠丸恒次)
数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)刃長81.1cm、反り3.0cm 平安時代の刀工、青江恒次の作
信者から献上された日蓮が、この刀の魅力にとりつかれ、数珠を付けて魔よけに使っていたことからこの名が付いた。
日蓮没後は他の遺品とともに身延山久遠寺に保管されていたが、享保年間に行方不明となった。1920年ごろ、宮内省刀剣御用掛の杉原祥造が再発見した
参考元サイト
http://matome.naver.jp/odai/2140569365879865101





