昨日より30分ほど早く起きて7:00過ぎに朝食へ。昨日より人がたくさん居る。みんな朝早いなあ。
メニューは昨日と全く同じで若干テンションが下がる。

食後、シャワーを浴びるとバスタブからお湯が流れていかない。
栓を手で押さえていないと流れないので、しばらく格闘の後、あきらめる。


ホテルを出てウィーン中央駅へ向かうと、構内で先生に引率された小学生の集団に出くわした。
居合わせた大人が邪魔くせえなあ、という顔をしていて、どこの国の大人も同じだな、とちょっと安心する。


今日はKarlzplatsから、新王宮へ。
行く途中、スタインウェイの店があったので少し中を見せてもらった。
スタインウェイがズラリと並ぶ中で深呼吸してみると、すごく心地よい香りがした。


さて新王宮の古楽器コレクションを狙って中に入ると、月曜は休館とのこと。諦めて別の入り口に回り、王宮博物館、シシィ博物館へ。

ここでもオーディオガイドを片手に展示を見て回る。
銀食器のコレクションが…とのことだったが、金だの銀だの陶器だのガラスだの豪華絢爛な食器のオンパレード。
毎日こんな食器使ってたのか…召使いは大変だなぁ。



因みに600年続いたハプスブルク王朝最後の生き残りは、1980年代まで生きていたとのこと。大昔の話かと思ったら、全然最近のことなんだね。


博物館を出ると、一路モーツァルトハウスへ。しかしその前に少し疲れたので、ペスト記念柱近くにあるカフェに入って一休み。

カフェイン抜きのコーヒーを、iPhoneのメモを見せながら頼む。
ウィーンのカフェでお茶する、とかなんておしゃれな語感なんだ。

レシートに Grosse Espresso と書いてあり、ほんとにカフェインレスか?とドキドキしながら啜るが、体に変調がないので、きっと大丈夫だったんだろう。カフェインレスの言い方を調べておいてよかった。

飲み終えて店を出ようとコートを着ていると、太ったおばちゃんが「そこ空く?」みたいな仕草。
隣のテーブルが空いているのだが、こちらの席に座りたいらしい。
そういえば昨日もこんなの見たけど、オーストリアではよくある光景なのかな。


さて、モーツァルトハウスを探して歩き始めると、ペスト記念柱、シュテファン寺院を通る。
シュテファン寺院はでかすぎて、というか塔が高すぎて写真が撮りづらいレベル。
塔は上れるようだったが、時間が無く断念。


モーツァルトハウスは大通りから少し入った石畳の道にあった。
ここも日本人がいた。ビジターノートにも名前があったが、ここは一組しか見当たらなかった。
日本ではモーツァルトよりハイドンの方が人気なのか…?

モーツァルトハウスも他の作曲家の家と同じく、当時の面影をあまり残しておらず、ここで残っていたのは当時の壁、というのが二カ所くらいだった。

ここもオーディオガイド付きだったが、どこのオーディオガイドも、説明が長すぎて見て回る早さにまるで追いつかなかった。
まあもう少し時間に余裕があればよかったかもだが、歩き回るのも疲れるので、手短に頼みたかったところ。


さてここからは、イタリア・ボローニャへの移動である。
モーツァルトハウスを予定より少し遅くでたため、急いでホテルに戻る。予定より五分遅れくらいまで取り戻したので少し余裕な気分だったが、ウィーン中央駅のSバーンの乗り場が分からずもたつく。
Sバーンなら1本なのだが、仕方なくUバーンを乗り継いでウィーン・ミッテ駅へ向かう。

CATの待ちが30分近く発生してしまったが、駅で荷物の整理もできたし、まあ飛行機には間に合うだろう。

CATが途中止まったりノロノロしててだいぶ焦ったが、なんとか飛行機には間に合った。
しかし昼飯を食えておらず、ミラノまでお預けだ。

ミラノまで乗るアリタリア航空の飛行機は小さいが、まあまあ快適。
機内でローマのガイドブックを読んでいると、四ページくらいにわたってスリ・泥棒対策が書いてある。どんだけ危険な街なんだよローマ。

明日は、貴重品をバックパックには絶対入れないようにしようと誓う。


ミラノ・リナーテ空港には一時間半ほどで着く。着いたのだが、荷物が出てこない。誰の荷物も出てこない。
車椅子の客についてた職員がしびれを切らしてどこかに電話をかける。
結局、30分ほど待たされてようやく荷物が出てきた。これがイタリアか。

空港からバスでミラノ中央駅へ。
切符売り場の近くには、ガイドブックに書かれていたとおり、ウロウロして声をかけてくる連中が。親切に買い方を教えて、手数料を取るらしい。
無視して切符を買ったが、早速警官とひとり揉めていた。
これがイタリアか。


列車まで一時間余裕を持ったので、駅でパニーニを食べながら待つ。

列車は、古くなって引退したブルートレインをさらに古くしたようなボロい感じだった。


客席は、コンパートメントと呼ぶのか、六席ごとに仕切られている。
自分のコンパートメントには、アジア系の女性がひとりと、あとは男性二人。
二時間の行程は寒さとの戦いだった。

到着すると、ドアを手動で開けるみたいだが開かない。
アジア系女性が開けようとしても開かないのでこちらを見る。
取っ手に手をかけ、頑張って開けようとするが開かない。焦る。
その時、プシューという音がすると、硬かった取っ手が簡単に動き、ドアが開いた。


ボローニャ駅を出ると、駅からホテルが遠いので、バスを探す。
バス停で近くの若いお兄さんに、ここに止まるか、ときく。
止まる、と答えられたが、その後何かを伝えようとするのだがわからない。
待ち時間は30分近い。
諦めてタクシーに乗った。
これ以上寒い中にいたら風邪が悪化する。

タクシーでホテルに着き、トイレの便器の横にあるビデにびっくりしつつ就寝した。

時刻は22:00か23:00くらい。
今日も疲れて晩飯は食えず。



足を洗ったりもするそうな。

22日。朝、予定より少し早く7:00に目を覚ます。

時差調整はバッチリである。

軽く身支度をして朝食を取りに行くと、人が一人しかいない。引くくらいいない。

だがやがてポツポツと人が増え始め、その中にはなんと昨日の学生グループも。

話すと、同じHISで宿を取ったわけではなく、自分たちで予約したとのこと。偶然だなぁ。

もしかしたら今日、シェーンブルン宮殿で会うかもしれないなw



で、朝食後は早速シェーンブルン宮殿へ。
その前にウィーン中央駅で、ウィーンカードを購入する。
このカードがあると市内の交通機関が乗り放題になり、各観光施設の割引が適用になる。

シェーンブルンの地下鉄駅を出て宮殿に向かうと、宮殿の裏側に出る。





館内ツアーのチケットには幾つかの種類があったが、より多くの場所が見られるGrand Tour のチケットを買うと、入場指定時刻まで10分。

ゲートの位置もよく分からないので、急ぎ足で中庭を歩いてゲートらしき方向へ向かう。


ゲートの入り口では、バックパックを預けるよう指示された。


中に入ると、ゲートに数名が待っている。時間は指定の10:06少し前。

係の人にチケットを見せると、いけるかな?という感じでチケットのバーコードを機械にかざす。

ランプが緑になって、通れることが分かった。


ゲートの少し先で、日本語のオーディオガイドを受け取る。

軽くて安っぽい作りだが、展示室の番号をタッチパネルで入力すると、その部屋の説明が聴ける仕組みだった。

その機械を電話のように耳に当ててガイドを聴く。


さて、中で果たしてまた、学生グループを目にすることとなる。

彼らの方が少し先に入っており、彼らの少し後ろで見学することになった。


途中でImperial Tour とコースが分かれるところで、彼らとは別々になった。



シェーンブルン宮殿の建物を出て、せっかくなので庭園も少し見てみようと建物を回り込むと、広大な前庭が目に入る。

そういえばこちらが表だったのか、と改めて納得。

広大な庭を噴水まで歩き、戻ってテラスに上がってみる。

そこに日本人二人連れがいたので、写真を撮ってもらえばよかったのだが、そこを離れてから思いついたので仕方ない。






シェーンブルン宮殿からUバーンの駅に戻ると、次は割と近くにある音楽家の家、ということでハイドンの家を目指す。


駅を出ると、ショップが立ち並ぶ通りに出る。

近くの地図を見ると、いくつか先にハイドンガッセ、と読める通りがあるので、おそらくそこにあるだろうと当たりをつけ、歩き出す。


途中、物乞いがいたのだが、その後行く先々でどの通りにも物乞いがいることに気がつく。

観光に力を入れている街はホームレスなどを排除しているイメージだが、ウィーンは素直なものである。


さて、やはりハイドンガッセにハイドンの家はあった。

ハイドンの家

チケットオフィスに誰もおらず、2回ほど声をかけるも誰も現れない。


仕方なく中庭に出ると、女性がチケットオフィスと全然関係ない方向から出てきて案内される。


しかし昼休みまで30分とのことで、それでもいいから入ると告げる。

結果これは正解で、後に入るベートーヴェンのパスクァラティハウスもそうだが、本人の息づかいが聞こえるような展示はほとんど無い。


部屋そのものは当時のものが残っているが、楽器を除いた家財道具はほぼ無く、期待していた作曲家の生活というか体温のようなものを感じることは難しかった。


ビジターノートが置いてあり、自分も名前を書き込む。

しかし日本人が多い。

パラパラとめくると、やたらと日本人が目立った。半分くらい日本人じゃないの、というくらい。

そしてこの先も、行く先々で日本人を見かけるのだった。



ハイドンの家を出ると昼飯の店を探し始める。

歩き回ってウィーン西駅の方までくるが、良さげなところがない。

結局、最初に物乞いがいたすぐ近くのシュニッツェルが食べられる店に入った。

シュニッツェル
シュニッツェルは、ウィーン名物のカツレツ

しかしこのあたりでだいぶ、風邪の症状が強くなっていた。


手持ちのパブロンを飲もうかと考えたが、昨日少しだけ飲んだコーラでもかなりダメージがあったため、パブロンなどを飲んだらカフェインが致死量に達するのでは、と思って我慢する。


まだ時間は早いがホテルに帰ろうと思ったが、ふと見たパンフレットに、ほとんどの作曲家の家は月曜休みの旨が書いてあり、もう一踏ん張りしてベートーヴェンのパスクァラティハウスに行くことにした。


パスクァラティハウスはウィーン市庁舎駅から市庁舎を回り込んだ先にある。


市庁舎前は、冬のイベントらしく出店が立ち並び、スケートリンクが作られていた。


パスクァラティハウスはすぐ見つかり、階段を4階まで上ってたどり着く。

中にいたスタッフの男性がたまに近づいてきて声をかけ、案内してくれる。

写真もこちらはオーケーだった。


そして客は俺以外には日本人と思われる女性が一人だけだった。






ホテルに戻り、バファリンを飲んで30分ほど寝るも体調は良くならない。ギリギリまで引っ張るためさらに30分ほど寝て、体調は良くならないが頑張って今回の旅の第一目的である楽友協会へ。






楽友協会の大ホール、グロッサーザールは特徴的な形をしていて、ステージの幅のまま、客席が作られている。
通常見慣れたコンサートホールといえば、ステージを中心に扇型に拡がっている形だが、ここは長方形になっているのだ。
なおこのホールの設計には、モーツァルトを毒殺したと噂されるサリエリが携わっているとのこと。

そしてここが1番、日本人が多かった。見ただけで10人は下らない。
小学生の女の子を連れた家族連れも居た。


客席に入ったところで、韓国人の女性に声を掛けられ、シャッターを押してあげた。



臨席左側の女性も日本人かと思ったが、楽章の間で拍手をする客たちにシーッ!シーッ!!とうるさかった。



開演前と休憩中はビュッフェが利用できる。
そこで軽くつまむも食欲は乏しく、腹痛を防ぐため水もほとんど飲まなかったが、
ワインとか飲みたかったなあ。


プログラムは、
・ウェーバーの魔弾の射手
・ウェーバーの交響曲第一番 C-dur Op.19
・リムスキー・コルサコフのシェエラザード

シェエラザードは生で聴けるなど考えたこともなかったが、まさか楽友協会で聴けるとはほんと運が良い。

まあ、最後の楽章のバイオリンがピアニッシモで長い長いロングトーンを伸ばす間に一瞬寝落ちしたのだが。





だがコントラバスが7人も居る編成で低音が心地よく、気持ち良かったのだった。

あれはこの曲独特の編成なのだろうか?


これでウィーンの実質一日目は終了。

体調を鑑みて、すぐ寝ることにする。


今日も晩飯は食っていない。






おまけ

一時期ネットでちょっとだけ話題になった、極度乾燥。

極度乾燥1

極度乾燥2

シェーンブルン宮殿で見かけたのだが、全然別の場所でシュニッツェルを食べている時にまた現れてビビった。



休暇を取ってウィーン、イタリアを旅行してきた。

日程は5泊8日。ややタイト目なスケジュール(旅行会社の人)であったが、初めて1人で行く海外である。

前回は9年前のアメリカが最後で、その時は全日程を案内してくれる人が居たので自分はついていくだけ。しかし今回は現地での鉄道での移動やアクティビティなど、全て自分で手配しなければならない。英語も口から自然にあふれ出てこない。

海外旅行素人必携の「地球の歩き方」を片手に、初めて見る景色、初めての体験、何もかも日本と異なる国で見てきたこと、感じたことを書いてみる。

 
  *  *  *


2月20日、金曜日。仕事を終えたその足で羽田に向かい、到着したのは出発の4時間前だった。
チェックインカウンターもまだ開いておらず、出国前最後の和食、鮭といくらのどんぶりを食べ、空港内をぶらつきながら時間をつぶす。

じきに搭乗開始となり、1番左奥の席(飛行機の右後部)に座る。隣はアラブ系の夫人だ。


行きは時差調整のためとにかく寝倒すことにし、ひたすら寝る。
持ってきたスリッパと首枕がかなり役に立った。

途中から膝と尻が痛くなり、(これはかなりの修行だなぁ)と思いつつ座席前のモニターを見ていると、飛行機は神奈川から静岡、富士山上空をこえ福井県あたりを抜け、さらに韓国、中央アジアの砂漠地帯の上空を抜けて、中東ドバイへ。

しかしドバイ上空に着いたころ、「砂嵐のため着陸が1時間ほど遅れる」とアナウンスがあった。
結局2時間近く遅れて到着。
トランジットは2時間なので焦るが、エミレーツのスタッフの誘導に続き、ビル内を歩き、バスに乗ってターミナルを移動。
ある地点で突然ひとり放り出され、ほんとに合ってるのか分からない道をクネクネ歩き、何とか出発ゲートへ。

誰も客の居なくなったカウンターの、ガタイのいいおじさんにチケットを見せると、「下に降りて乗れ」という。

下に降りるとカウンターがあったのでチケットを見せると、「ゲートクロージング」
乗れなかった。
上に上がって聞け、と言われたので、先ほどのガタイのいいおじさんに聞くと、向こうのインフォメーションに聞け、と素っ気ない。

そこからかなり歩いたような気がするが、ようやくインフォメーションを探し当てて聞くと、下のエミレーツのカウンターへ行けという。

たらい回しにもほどがある。
が、外国ってこういうものか、と思いつつ、エミレーツのカウンターに行くと長蛇の列である。

そこに並んでいると、さっきの飛行機で一緒だった学生グループに話しかけられた。どうやら卒業旅行とのこと。

先に並んでいた俺は、カウンターにたどり着くと太った女性スタッフに、後ろのラウンジで待て、と言われる。

カウンターの後ろに回り込むと、サンドイッチやドリンクが用意された待合室のようなものが有り、素直にしばらく待つも、いつまで経ってもアナウンスが無い。
先ほどの学生グループも来ない。

仕方ないので通りすがりのスタッフに聞くと、外のカウンターに並べという。

外のカウンターに再度並ぶと、やがてラウンジにいた他の人もボツボツと並び始めた。

俺も並んでいた学生グループの後ろに並ぶが、なかなか進まない。ようやく1時間くらい経ったころ、学生グループがチケットを手に入れたとのこと。

しかし俺がチケットを手に入れるまで、そこからさらに小一時間かかるのだった。。。

外国人は平気で割り込むし、自分の列のカウンターの男性も、左右の列の担当者から話を振られて都度対応しているようで、なかなか列が進まない。
別の列の仕事を割り込みでやっているようだ。

ようやくチケットを手に入れると、ついでにミールチケットをもらえた。

ミールチケットにはいくつかのレストランが書かれていたが、次の出発ゲートに近いこともあり最終的にはマクドナルドに入った。


さて、次のフライトには別のターミナルへ移動しなければならないので、空港内の電車でターミナルを移動し、食事をしたり、フラフラ店を見て回ったり、歯磨きをして時間をつぶすが、なにせ7時間くらいの時間が空いてしまったので、手持ち無沙汰になってしまう。


仕方ないのでゲート近くのイスに陣取り、iPadを取り出し、日本から持ってきた猫物語(白)を観る。

しばらく見ると眠くて仕方なくなり、しばらく寝ることにする。


何度か目を覚ました後、搭乗開始30分前になった。
搭乗口の電光掲示板には、
Madrid
Delayed 
と書かれており、人もまばら。

一度搭乗ゲートを確認しに行くと、どうやらゲートは変更になっていたようだ。

さっき、椅子に座っている時に学生グループが会釈しながら通り過ぎたのはそういうことか、と理解しゲートを移動する。

移動先では、時間前なのに登場案内が始まっていた。

チケットとパスポートを見せて入ると、飛行機ではなくその先は待合室。
隣に座った子連れのヨーロッパ系の女性に「Tokyo?」と話しかけられる。「Tough.」

そこから案内されて階下に降りると、またバスだ。


バスでまた遠くに移されると、今度は地上からタラップを上がることに。

しかし先ほどの学生グループが見当たらない。彼らの方が先に来ていると思ったのに。
さっき挨拶しながら通り過ぎていったと思ったが、もしかして知らなかったのか。
しばらく心配していたが、搭乗後しばらくすると乗り込んできたのが見えて一安心した。


飛行機はイラン上空を飛び、オーストリア、ウイーンへ向かう。

隣の空席を挟んだ通路側には陽気な女性が座っており、自分がフライトアテンダントの言葉をうまく聞き取れないときに、グラスを指さしてドリンクだよ、と教えてくれたり助けてもらった。


6時間後、ようやくのウィーン到着。
出発からは28時間が経過している。

空港内のSPARで飲み物を買っていると先ほどの学生グループが来て、ほんとお疲れさまでした、と言葉を交わす。

その後CAT(City Airport Train)でウイーン・ミッテ駅へ移動、さらにそこからSバーンでホテルのあるウィーン中央駅を目指すが、路線図を読み間違えてUバーンの駅に行ってしまったりしてもたつき、ホテルに着いたのは結局、23:30くらいになった。

CAT外観


48時間ぶりくらいのシャワーを浴び、床につく。
明日はシェーンブルン宮殿と、楽友協会のコンサートの予定だ。