Keri Noble 2曲目です。

やはり、よいですね。

ひきつけられます。

この声、メロディーに。


静かなのに、
ぐっとつかまれるな。。。



京都の女性は、
小さなころから、
お茶をたてられるようにしつけをされるのだ、
と、神戸の友達に聞きました。

真実かどうかは定かではないし、
確かめてもいないのですが、
すてきなことだとおもって、
そうであると、信じています。



実家の祖母は、
とても美しくお花を生けます。
毎日ではありません。

お祭りとかお盆とか、
何か特別な行事があるときに生けるのですが、
畑仕事をする延長線上でつくられるその生け花は、
驚くほど華麗で優雅です。大胆です。
使う花は、家の庭にあるもののみなのに。

直感的に、
「これを学んで伝えていかなければ・・」
とおもいました。


そんなふうに、
日本の文化を親から子へと、
次の世代に伝えていくのは、
人生を生きる上でも、ひとつの使命じゃないかと、
感じています。



その中でも自分は、
芸術的な域にあり、日常でも非日常でもありうる、
お花やお茶を、身につけたいをおもいました。
動より静の自分、創造的なものを好む自分には、
向いているともおもいます。

偶然にも家の近くに、生け花の教室がありました。
早速通いはじめたいとおもいます。

なんだか楽しくなってきました。


basil81 AB型天然感性で生きるじぶんをみつめよう

以前、飲み会で、
たまたまたまたま、
トランプの手品を覚えたてで、
偶然、そのレストランにもトランプがあったため、
みなさんに披露したところ、
大変な大盛況でした。

それに代わるもの・・・
というわけでは全然ないのですが、、

単に、自分が好きなこと、
やってみたいこと、
になるのですが、

タロット占いを勉強し始めました。

別に、自分のことを占いたい!
というわけでもなく、
誰かの相談になりたい、
というわけでもないのですが。
(誰かの相談にのるのは、
その方の人生を背負うことにもなるので、
現段階、自分にはとてもとても荷が重すぎる・・
とおもっています。)

不思議な力をもつタロットに
ずっと興味を持っていました。
特に霊感のない自分でも、
思いを込めてカードをきり、
あらわれたカードを読み解いていくのが、
おもしろいと感じたからです。
いろんな風に解釈できるはずの
カードの意味を、
自分なりに自由にくみたてて、
ストーリーをつくり、
相手をはげましていくのは、
やはり興味深いです。


昔、タロット占いが気になってはいたものの、
能力のない者がやる世界ではないんじゃないかと、
諦めていたのですが、
最近は、「だからなに?」って開き直ってきて。。
好きなんだったらやってみればいいかな、と。
何かを犠牲にするわけでもない、
時間もあるわけだし、
挑戦してみたい、と思ったわけです。


まずは大アルカナから。
一つのカードでも、
そのときそのときでいろんな意味をもっていて、
適切なリーディングをするのは難しい。
まずは、カードの基本的な意味を頭に入れないと。

がんばります~



basil81 AB型天然感性で生きるじぶんをみつめよう

京都の風景です。

小京都といわれる、
金沢の東山にある風景と
よく似ています。

これが日本の代表的なまちなみの風景ともいえるのでしょう。

私の勝手な想像。

一歩足を踏み入れると、
そこには、髪をきれいにまとめた、
あわい色の着物を身にまとった女性が、
風呂敷づつみをもってたたずんでいて。

座敷に入れば、
いろりがあって、
井草の香りがするたたみのうえに、
どうぞおすわりくださいと言われて、
正座する。

漆塗りの大黒柱は、
よく磨かれて、
上品な光をはなっていて、
歴史をものがたる。

部屋のすみには、
まるく広がりのある花器に、
真ん中に、赤い花と緑の葉をつけた木がまっすぐにのび、
そのまわりをバランスよく、
存在感のある木たちが配置する。

壁にかけられている、
掛け軸や、墨画をながめていると、

奥の方から、
木のお盆に、
この世に二つとできないのだろう、
と思われるかたちといろをした、
大きな器をのせて、
やはり、上品な女性が、
静かに「ようこそ」と、やってくる。

大きな器の中には、
表面に水泡がたくさんついた、
落ち着いた草色のお湯が入っている。

その器をしずかに両手でとり、
少しずつすこしずつ口に含む。

そのあじがどんなものかは、
とくにもんだいではなくて、
そのお湯をそっと、ゆっくりと
あじあうその時間のながれが、
きもちをおだやかにしてくれる。

お湯をいれてくれた人の、
心遣いを頭に浮かべながら。

ほんの一口で、
すべてがみたされたようなきがしてくる。



あたたかい、
丁寧な、
ひとの気持ちが入ったものは、
本当にひとのこころをあたたかくしてくれるとおもう。
直接その気持ちを伝えてもらうことができなくとも、
モノを通じて、容易に感じ取ることができる。

そうやって、
感動は人につたえられていくんだろうな。


真剣じゃないから?
自信がないから?

$basil81 AB型天然感性で生きるじぶんをみつめよう



俗にカリスマ性があるといわれるひと、
口答えできないひと(しようがないほど抜けているところがないひと)
軽いノリで話しかけられない人、

っていうのは、
一見とてもこわい。
話し方や、行動がこわかったりする。
もちろん容赦なく、だめな時はきつく叱責する。

だから、そういう人と接するときは、
ちゃんと、考えや根拠など、
まとめておかなければならない。
と下の人間は思う。

だから、また、
壁が高くなる。


それでいいとおもう。
上に立つ方は、そうでなければならないと思う。


でもおもう。
そういうふうにふるまって、
部下やまわりがついてくることを維持するのは、
大変なことだと。

愛情がなければならない。
知識や経験がなければならない。
好かれていなければならない。
信念をもっていなければならない。
真剣でなければならない。
自分のことよりまわりのこと。


おだやかにやさしく振舞うのは簡単だ。
でもそれは、自分へのプレッシャーをかけないで、
楽をしているのだとおもう。
自分を守っているのだとおもう。


もっと真剣に向き合えば、
おのずと、必要な知識を吸収して、
だめな部分がもっと見えて、
急速になおすべく、
それなりの行動をとるだろう。


それにしても、
そういう方々がみんな、
年を経るにつれて、
まるくなっていく、、
のはなんでだろう・・
そういうはなしをよくききます。