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私は3人きょうだいの末っ子です。
9歳年上の兄と7歳年上の兄がいます。
長兄は跡継ぎなので、とても大事にされていました。
両親は女の子が欲しかったらしく、また年をとってからの子どもでしたので、
両親も余裕ができて、私をかわいがってくれました。
そうすると、二番目の兄は私にやきもちを焼きました。
だからとてもかまわれたというより、いじめられました。
よく「お前は橋の下から拾ってきた。」と言われました。
ある時は些細なことで喧嘩になり、二番目の兄に首を絞められました。
相手は7歳年上の兄なので、力では敵いません。
なので、知恵を使って、私は死んだふりをしました。
兄はびっくりして、私の名前を呼びながら頬を叩いても反応がないので、
逃げました。
そしてそのあとすぐに私は母に兄がしたことを告げ口して、
「気を失って、死んだおじいちゃんが着物を着て笑っているのが見えた。」
と、言うと母は
「この子は本当に三途の川を渡りかけた。」
と、言って、兄を叱っていました。
こっちもやられるばかりではありません。
ピアノを買ってもらったら、大事にしていたのに、
二番目の兄はピアノを壊しかねない弾き方をして困らせました。
「あいつはピアノを買ってもらっている。」
とか、言うので、
「お兄ちゃんだってウクレレ買ってもらったじゃない。」
と反論すると、金額が違うと猛烈に怒っていました。
そして、ちょっと○○だったので、
すぐに私に突っ込まれて怒っていました。
我が家では大晦日の年越しそばは食べ終わるまでしゃべってはいけないと
いう家訓があります。
家族は大真面目にそれを守ります。
それなのに、二番目の兄は食べている途中に
「ちょっと醤油取って」
とかしゃべるので、父は笑ってしまいます。
私も食べている途中でしゃべることはできないので、食べ終わってから、
「さっきお兄ちゃん、しゃべってたー」
と、突っ込むと、二番目の兄は
「お前だってしゃべってた」
と、ありもしないことを言いました。
そうすると、父は私に
「人の欠点をあげつらわないように」
と言いました。
その後もわたしと二番目の兄の攻防は激しく続きました。
兄は時々、いろいろと気に入らないことが多かったらしく、
中学生のころはよく母と相撲を取っていました。
二番目の兄にはいろいろといたずらされて、
わたしの寝相の悪いところや母のカツラを被って変顔をしているところを
知らないうちに写真に撮られました。
まったく失礼な兄です。
またある時、私はラジオ付きカセットレコーダーが欲しくて欲しくて、
父に頼み込み、拝み倒して買ってもらいました。
その時、兄は大学生で大学の近くに部屋を借りて住んでいたのですが、
ちょうど実家に帰ってきていて、ラジカセを見ていました。
兄が下宿に帰ると私のラジカセがなくなってしまいました。
兄が持っていってしまったのです。
その後、兄の下宿にいくとしっかり私のラジカセがありました。
そのことを父母に話しても兄は叱られませんでした。
悪いことをしているのにとてもずるいと思いました。
二番目としてのせめての抵抗をしてきたことは彼のレーゾンデートル
だったのかもしれません。
自由民主党の総裁選挙に政調会長だった岸田文雄さんが名乗りを挙げました。
見た目もいいし、いいことだと思います。
東京大学を3回受けて、だめだったことも挫折を味わっていていい。
だけど、岸田さん、広島一区の選出ですよ。
河井案里への自民党からの政党助成金一億五千万円の問題を
解明しないと、広島県の人々は自由民主党を信頼できないと思います。
総裁になれても今度の衆議院選挙で議席を落とすことだってありますよ。
総裁選挙の前に河井案里の件を詳らかにしたほうがいいと思います。
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