先日カフェでホットカフェラテを頼んだら、店員さんがラテアートをしてくれました。

とてもきれいにできていて、思わず

「わあ、きれい。ラテアートしてくださったのですね。ありがとう。」

と言いました。


しかし私は今まで何度もラテアートしてもらっていたのに気づかずに飲んでしまっていたのではなかったかと思いました。


人が親切にしてくれたことに気づかないことがたくさんあるんだなと思います。


自分が人にしてあげることは意識しますが、人からの親切は気づかないで知らずに過ごしていることがあります。


腹が立つのは親切にしたことに気づいたのに何も言わない人です。

また親切にしたのに気づかれないことです。

気づいても気づかないふりをされることもいい気分のものではありません。

人間は自分がした善行は意識できても、人からの善行は全部は意識できないものですね。

自分が人に何かしてあげて気づかれなかったとき、たいがいの人は親切の押し売りはみっともないとも思えて黙っています。


例えば街にごみがなくきれいになっていたら、必ず掃除している人がいます。


そういうことにさえ気づいていない日常があります。


もう何年か前になりますが、電車に乗り席に座っていたら、男性の老人が二人乗ってきて私の前に立ちました。

「なんでよりにもよって私の前にくるんだろう、いやだなー、せっかく座れたのに。」と思いましたが、席を譲りました。

その時にその二人の老人は「ありがとう。」の一言もなく、二人でどちらが座るか相談し始めました。

がっかりというよりも腹が立ちました。

私よりも長く生きているのに礼儀を知らないのか、と思いました。

その老人たちにとって自分たちよりも若い人が席を譲るのは当たり前のことだったのでしょうね。


あの時、「ありがとう。の一言もないんですか?あなたたちは。」

と言って去ればどうなったことでしょう。

しらけちゃいますよね。

私のことを恩着せがましい変な人だと周りにいた人は思うでしょうね。

その時は咄嗟にウイットに富んだ行動ができなかったのですが、今度そういうことがありましたら、相手が「ありがとう。」と言わなくても大きな声で「どういたしまして。」と言って立ち去ろうと思います。


人にしてもらうことばかりを喜ぶのではなく、人に何かできることを喜ぶことができるようになりたいですが、こんな対応をされると喜べないです。

人に喜んでもらいたくて親切をしてしまうことは人間の当たり前のモチベーションだと思いますが、喜んでもらえなくても、感謝してもらえなくても善行ができる

ようになれたらとても立派だと思います。


まだまだ小さい私です。