今は死語となっている感じがしますが、私が嫌いな言葉に


「鉄は熱いうちに打て」


というのがあります。


私が小学生高学年の時の担任が毎日授業中に質問に答えられなかったり、答えを間違えるとその都度何度もげんこつで児童の頭をたたいていました。

自分が叩かれるのはもちろん痛くていやでしたが、他の人が叩かれているのを見ているのもとてもいやでした。


もうしつこいくらい、児童が泣くまで叩くというより、殴っていたんです。


今では保護者からクレームが入ることでしょうけれど、昔の親は言わなかったんです。


ですから、勉強がよくできなかった男子は一時間に何回も殴られ、その後の休み時間には女子にその腹いせに暴力を振りまくりました。


いじめの連鎖ですね。

自分が人から暴力を受けるとその後自分よりも弱いものに暴力を振るい、次はその暴力を受けたものがまた自分よりも弱いものをいじめる。それが延々と続くと考えると悲しくなります。


だから学校に行くことがとてもいやでした。

クラスの雰囲気もとても悪く、クラスメートに暴力を振るうことも当たり前になっていました。

あの時、暴力はいけない、という信念を持つ担任だったらどんなによかったかと思います。

そして卒業文集を作ったときにその暴力担任が書いた言葉が

「鉄は熱いうちに打て」というものでした。

それは自分が児童を殴ったことを正当化しようとするいいわけです。

間違っていると思います。


私達人間は鉄ではありません。血の通った生きている人間です。


暴力は人に恐怖心を与えますが、信頼関係を築くことはできないのです。

暴力をふるえば児童は委縮して、落ち着いて思考することができなくなり、間違えることを恐れるようになります。


現在すぐれた先生は教室は間違えるところだと言ってくださいます。


人を心服させるのは正しい行動や言葉です。



「鉄は熱いうちに打て」という言葉は鉄だけに適する言葉で、決して人間にしてはいけないことです。

若いということが、幼いということが熱いというわけでもありません。

人間を火であぶることだってできないでしょう。

間違いに気がついてほしかったです。