毎日食べても永遠になくならないチョコレートの話です。
一枚の板チョコレートを手に入れて、一日目に半分食べる、二日目にはその残ったチョコレートを半分食べ、三日目にはその残りの半分のチョコレートを食べる、四日目にもその半分を食べる、それを繰り返して毎回半分ずつのチョコレートを食べるとチョコレートは永遠になくならない、という話です。
チョコレートはどんどん小さくなり、かけらになって半分にすることもできなくなり、結局は不可能な現実ですが、理論としては成り立つ話ですね。
理論としては成り立つが現実には不可能なことがたくさんあります。
このチョコレートの話はミクロの世界になっていきますが、私には宇宙の無限大と同じ感覚があります。
話は変わりますが、背負い水という言葉を何年か前に知りました。
荻野アンナさんが「背負い水」という作品で芥川賞を1991年に受賞しましたが、人間には一生のうちにその人が使える水の量が決められていて、その水の量を使い切ると死ぬと、その人が生まれてから死ぬまでに使える水のことを「背負い水」というのだそうです。
人は決められた一生分の水を背負って生まれてくるそうです。
人によって背負い水の量は違うので、極端にいうと生まれてすぐに亡くなってしまう方は背負い水の量がほんのわずかで、長生きする人はもちろん多くの背負い水を背負って生まれ、水を大事に使う人は背負い水の減るのが少ないからその分余計に長生きできるということです。
今は水道の蛇口をひねれば水はじゃんじゃん出てきますが、昔は井戸から汲んだり、川に汲みに行ったりと水が貴重だった時代に水を大事に使うための方便だったのかもしれません。
家の祖父に少し認知症が出てしまったときに水道の水を出しっぱなしにしてしまうことがよくありましたが、その後まもなく脳梗塞を起こして亡くなってしまいました。
近所のおばあ様も水道の出しっぱなしにすることが多くて、ご家族から水道料金が莫大な額になってしまったことを聞いたあと、まもなくそのおばあ様も亡くなりました。
私は家のおじいさんや近所のおばあ様があの時背負い水を随分使ってしまったのだなーと思ったりしました。
荻野アンナさんが「徹子の部屋」に出演したときの話ですが、荻野さんのご友人がもうチョコレートを食べないというので、どうしてかと聞いたら、「もう私は過去にチョコレートをたくさん食べてしまって、もう背負いチョコレートが残り少ないから」と答えたそうです。
永遠になくならないチョコレートと背負いチョコレート、限りのないチョコレートと限りのあるチョコレート、机上の空論とも思えます。
私たちの命は限りがあり、魂は限りなく続き前世から現世そして来世へ、そう考えるのは机上の空論でしょうか。