https://t.me/wakeupjapancomeon/8851 



Mr. Scott Ritter : 1991年から
1998年にかけて、イラクにおける大量破壊兵器捜索のための国連主任査察官としてアメリカの中東に関する外交政策を批判し、イラク戦争反対運動に参加した。
スコット・リッター氏の分析。
Violetsさんのテレグラムより、11/27: 
📹 スコット・リッター氏;
「ロシアはウクライナ人に対して優しすぎる」

「砂漠の嵐でどれだけの
イラク人が殺されたか、
人々は理解していない。
初日に(アメリカ軍が)突入し、
あっという間に1万人を殺害した。

もし彼らが塹壕の中にいて、
降伏しようとしないなら、
ブルドーザーで轢き殺すだけだ。
時間を無駄にすることはない。
そこに座って交渉するつもりはない。

私だったらウクライナ人にも同じこと、
つまり虐殺をしただろう。
奴らの指揮統制システムを破壊し
兵站網も破壊する。
彼らが機能するために必要なものは
すべて取り除いた上で、戦略的に
介入し、彼らを全滅させるだろう。

しかし、ロシアはそんなことはしない。
なぜなら、それはロシアがウクライナ
に対して行う戦争方法ではないからだ。
ロシア人はウクライナを爆撃する気がない。

彼らは皆、ウクライナの将校と
一緒に学校に行っていました。
彼らは幼なじみで、親友である
彼らと戦争しなければならないからだ。

ロシアが今している決断は、
今しかできない。なぜ、
ロシア国民がウクライナ人に
嫌われているという認識に至るまで、
8ヶ月もかからなければなら
なかったのだろう。
ウクライナ人に甘えてばかりいると、
ウクライナ人に嫌われ、
殺されることになる」

#スコットリッター
出典:https://t.me/dpr_mfa/934

「突入した初日にUS軍は
あっという間に1万人を殺害した」
知りませんでした。
あまりにも私は無知でした。

でも、何だろう、
「轢き56す…」
人の命を何だと思っているのだろう。
こういう人とは、馴染めない。




 

撤退中のイラク兵を狙い
民間人もろとも集中爆撃。
イラク「死のハイウェイ」
を記録した写真と映像

上のリンクkarapaiaから
転載させていただきます。
25年前、戦争史上最悪の大虐殺のひとつと言われているのが、クウェートの町から32キロ西にあるイラクのハイウェイ80で起きた奇襲攻撃である。多国籍軍が数キロの長さに渡って渋滞に掴まった車両を軍民問わずに爆撃したこの道路は後に「死のハイウェイ」称された。

     』
ところが、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)大統領が撤退中のイラク軍を徹底的に一掃するよう米軍に命令したのだ。

全ての文字が看過出来ません。
このまま転載させていただきます。
記事の前半のみ。

湾岸戦争中の1991年2月26日~27日(シリア2月27日午前0時)にかけての夜、一時停戦を受けて多くのイラク兵や民間人がバグダットへ向けて引き揚げていた。ところが、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)大統領が撤退中のイラク軍を徹底的に一掃するよう米軍に命令したのだ。

 多国籍軍の戦闘機が非武装の車の列を襲撃し、先頭と最後尾を破壊して身動きがとれないようにした。そこへ長時間にわたって次から次へと空から攻撃を繰り返し、この大虐殺が終わったときは、徹底的に破壊しつくされた2000台の車両と、数万のイラク兵の無残な黒焦げ遺体が何マイルにもわたって残されていた。

 のちにここは「死のハイウェイ」として知られるようになった。バスラに続く別のハイウェイ8号にもさらに数百の残骸が累々としていて、このふたつの道路の惨状は、湾岸戦争のもっとも象徴的なイメージとなった。

ハイウェイ80に放置された破壊された車両の列(1991年4月18日)
1_e0
 この前日、バグダッドはイラクの外相がロシアの停戦提案を受け入れ、国連の議決案に従って、すべてのイラク軍にクウェートから撤退するよう命令したとラジオで伝えた。

(中略)
「撤退しているイラク軍兵士たちを虐殺したことは、民間人および戦闘行為から離脱した戦闘員や捕虜の保護するために結ばれた1949年のジュネーブ条約に違反している。
(中略)
このような状況で、
ただ国に帰ろうとしている兵士を攻撃するのは戦争犯罪だ





今回の紛争は、ロシア側からすれば、
国内紛争です。
White hat のプランでは、
来る新時代に、平和なる時代に
過去の(現在の)武器を全て処分する
(更に武器密輸ルートまで摘発)
その為の、Nato/Russia戦争
であると、見ています。