リブログさせていただきます。
地上爆破は聞いていました。
広島原爆の後に、showa天かすは
海外の救援部隊は一切断ったと、
現地に向かったのは、
赤十字の者だけだったと。
しかし、この赤十字の救援部隊は
救援はしないで、ひたすら被爆者の
血を抜いていっただけらしい。
歴史上初の被爆サンプルを
コレクションするために‼
多分、こちらの記事の内容が
本当でしょう。
転載させていただきます。
『
私たちが
知っている
広島原爆のキノコ雲
これ
合成写真よ
👇
本物
地上での火炎が
はっきりと見られる。
爆発地点は地上。
原爆爆発の高度が全然違う。
我々が知っている
「史実」と全く違う。
詳細は今夜か
明日アップします。
騙されていたことぐらいは
理解してお待ちください。
』
リブログさせていただきます。
続きになります。
転載させていただきます。
『
1945年(昭和20)8月6日、
広島市への原子爆弾投下があった
核爆弾は、とても巨大で、
飛行機につめるようなサイズではない。
飛行機に積めるサイズ迄小型化に成功して、
広島を爆撃したと本気で信じていますか?
アインシュタインが
ルーズベルトに当てた手紙には
はっきりと
航空機に搭載は無理
と書かれている
👇
※当時、
原爆を起爆可能な技術は
日本だけが開発出来た
当時
空中起爆できる技術など
世界中何処にもなかった
当時では、最先端の
サイクロトロンから中性子を
加速させて打ち出して
ウランにぶつけて爆発させている。
空中から落としてなんて
出来る代物じゃ無かった。
壁に焼きついた花が
爆心地付近で発見されている。
上空爆発ではありえない事。
上空からなら地面に焼きつく。
原爆というより開放型原子炉というイメージ。
真実が露見し始めています。
原爆は日本製
1940年7月6日
ネイチャーが
理研が行った核爆発の実験結果の
解析の一部を、掲載していた
新たな事実は、
1940年のネイチャーに掲載された
日本の核実験が、
いつ、どこで、行われたのかということ。
1939年、大阪府枚方市、
大日本帝国陸軍の禁野火薬庫の
大爆発の写真に
きのこ雲の脚?
大阪帝国大学は、
すでに禁野火薬庫爆発(1939年)
より前の1937年、高速中性子を
照射できるサイクロトロンを
完成していました?