タイトル、肉吸いからの安楽死。
苦笑いしながら、今日の心境。
昨日は、リウマチ科の診察。
いつもの様に血液検査、診察。
メトレート、フォサマック、アレンドロン、
ゾルビデム。一緒。
進展ない。変わりないはいいことなんだ…。
昨日は、私の後は、患者がいなかった様子。
私の方が話を切り替え、診察を終わらせた。
「病院に来れてるんだから」と主治医が言った。
来なくなった患者もいるらしい。
そんな患者もいるでしょうね。
私も何度、この病院を切ろうとしたか…。
追い出そと嫌がらせかと感じる事もあった。
だからといって、ステロイド使用し、途中から診てくれる病院なんか嫌がられるだけ。
今や私に、親身になるまでいかなくても、ならざるおえない位、この病院にくらいついてきた。以前を思えば、今やっと普通。
5年皮膚症状だけも長かったが、骨関節炎の重症化。
あの5年の間、時限爆弾抱えてたようなもの。
ストレスを甘く考えてた。
煙草も×。
重症化したきっかけがあり、
あの時、死んだも同然と感じ、そのまま重症化。
死んだ中で今、生きてる。
昨日は、いつもより肩、首、指の痛さからか
また、絶望的な嫌な感情の流れ。
主治医もそれなりに励ましてくれてるのだろうけど?逆に治療ない、この痛みにずっとふりまわされ生きていくのかとそんな気持ちになった。
夫がいないと何も出来ない。
家事できるだけ幸せ?歩けるからまし?私は、文句ばかり?
またまた感謝が足りないから?
一時は心底、死にたい、殺してと願った。
自殺も想像した。包丁も首にあてたり、コード巻いてみたり、間抜けな事を本気でした。
正直、死んでも後悔ない。私がいない方が、一時は悲しむかもしれないけど、私にかかる医療はなくなり、夫、息子の自由は得れる。
私も痛みや先々の心配、働く事も自分が家族を助ける体もないもどかしさからも解放される。
50歳で、立ち上がる時は、ヨタヨタ。
姿勢もちゃんと歩けない。2年前まではいてたヒールは全部捨てた。ジムウエア、パンスト、重めの鞄、沢山のメイク用品、女子力高めの服、ネックレスも…。
私だって、私なりの拘りがある。
80歳のおばあちゃんでも、顔にシワがあると気にするのが、女性なんだから。
50歳で、立ち上がるだけでヨタヨタ、慣れると歩けて、かぶりものの服やトイレも肩の付け根が痛い。
息子と歩くの、悪いな、嫌だなと思う様になった。
以下、Googleで見つけた。
難病者は病院の利益。
苦しいのに生きたくない人は安楽死でもいいのかもしれない。
けれど、苦しくても生きたいと思ってる人がいるのに、安楽死がOKになると難病者は、安楽死に追いやられるみたいな…。
ひどいな。
好きにしてくれ。
ネットはいらん事も目にするが、綺麗ごとばかりもしんどい。
今日は、そんな心境。