母を責めてしまう…ずっと。

感謝が足りない?
感謝の気持ちが裏切られたと感じる場合もある。


母は、長年私を欺き、身勝手な都合で、私と息子を別居させてた事を知った。
母親としての私や息子の気持ちは、全く眼中になかった。


宗教をバックにもつ母の言う事は、絶対で、私の気持ちも十分理解した上での行動だと思ってた。



母らに不信感をもつ決定的な出来事があり
私の母としての充実感や特権は味わえず、かわりに父、母、兄らは、息子がいる事で潤滑油になり、母は幸せを壊されたくなかったという事がわかった。


一方私は一途に母を大切にし、息子の困りごとや息子の病気、母ら原因の後始末は全て私だった。

夫と母らの身勝手な利害関係は一致していた。



私の骨関節炎発症までの五年間だった。


母らは、息子の手術成功、入学、感謝すべき時ですら土壇場で裏切り、私に一人暮らしをさせた。

予想もせず、狂ってるのかと思った。

母らがした事が信じ難く、それでもまだ、裏切られた事を受け入れるのが怖くて、従った。
本心を知って、強引に押しきる事ができなかった。

これが、今の問題を更に膨らませ、最後の決断の過ち。

7ヶ月後、激痛。
結果、こんな難病で実家へ。

車椅子から歩けるようになる今まで、
母らの実態はひどかった。

息子がいる実家で過ごすはずが、ボロボロになってもまだ引き裂いた。


ママ友に、以前
「両親は、息子の幼い可愛い時期を私より、一緒にいれたじゃない。
十分親孝行してる。
大学生になったら、もっと母親から離れて行くよ。」

と、言われ涙が溢れ、救われた事を思い出した。



母など無視すれば良かった。
私自身が母親になりきれてなかった。
同居をちらつかせる位なら、帰る家はないと言ってくれたら、手段はあった。
そう言い切らなかったのは、息子にとっても私が必要なのはわかってたから。


今だ、息子の気持すらわかっていても自分の気持ち優先の母。
何が満たされないのか。



宗教を自分にとって都合のいいように解釈し、自分は守られてると思いこみ、まわりをふりまわした。

守られてきたのは宗教のおかげだけではなく、まわりの人間なのに。