ここ最近、「嗜好品」であるところのお酒と香水にハマっています。

 

結局のところ、人生なんて、人間の社会なんて、デタラメのクソなんです。

生真面目で色気のない僕みたいな気質の人間にとっては、こういう「デタラメ」は困るんです。

生真面目な人間は、何かと「同一化」することによって自分の居場所や存在意義を見出し、そのことを通じて幸福になろうとします。

だからこそ、その過程で発生する努力や忍耐を率先して受け入れます。

そういう生き方が、有利な生存戦略でありえた「まともな」時代は確実に存在しました。

 

しかし、今の世の中のデタラメさ加減ときたら、何と同一化しても確実に裏切られることが明白なので、生真面目な性格の人間にとって、社会生活という名のゲームは完全なる「無理ゲー」と化しています。

 

この発見はかなり重要だと思いますので、我こそは生真面目人間なり、という自覚のある人は是非覚えておいてください。

貴方の人生はここからです。

 

さて、「マイブーム」という、ほとんどの他者にとってはどうでもいい話をしますが、私は最近、お酒と香水にハマっています。

 

嗜好品は、確かに贅沢には違いありませんが、生きることの悦びを理解する上では、あるいは生きることの悦びを理解する感受性を育てるうえでは、とても有用な教材だと思います。

それは、このクソみたいな腐臭を放つ世界で、それでもなお、自分の生を、自分の感受性を、その価値を、その可能性を、信じて、あきらめず、自分がこの世に生を授かったという事実を、愛し、感謝し、過去を赦し、今日を、明日を、生きていこうとする者にとって、この世界の、生きることの、他者の仕事の、人間の文化の、豊かさ、美しさを、結晶にしたような、芸術と呼んでもいいぐらいの素晴らしい生産物なのです。

 

こういうものにお金を使うことは、昨今のミニマリズムに逆行する流れではありますが、「授業料」として、投資の意味が十分にあると思います。

金遣いを、「投資」にできる人は、成功して当然ですね。

私は成功者ではありませんが。

 

私の母は、父が酒飲みだったこともあり、飲酒を罪悪視する人でした。

今でもそうで、私が酒を飲むのを非常に嫌います。それがとても鬱陶しく、また、悲しいです。

どうやら酒を飲む私の姿に、憎んでいた夫の姿を投影しているらしく、また、それを客観視したり制御したりする理性をもはや発動できないレベルまで気力体力が衰えている、そのことが悲しいです。

 

私の両親は、お見合い結婚でしたし、父も母も、たぶんほとんど恋愛経験などなかったはずです。

結婚するまで童貞処女だった、しかも当時としては二人とも「晩婚」でした。

そんな両親は、やはり、恋愛とか、子供を作るという目的以外のセックスとか、そういうものを罪悪視したり、そういうことに耽溺するのを、軽蔑したりしていて、それは未成熟な幼稚な反応であり、私が人生について理解するのを阻む要因になりました。

 

今、私はよくお酒を飲みますし、香水も使います。

未熟な両親は、すでに父は他界していますし、母も、もう、ここまでです。

私は母を愛していますし、感謝もしていますが、人間としては、もうこれ以上成長することはないだろうと思います。

あとは、彼女がちゃんと人生を全うできるようにするためのかかわり方を考えながら、息子としての自分を生きるのみです。

 

しかし、私はまだまだこれからも続きがありますし、自分をあきらめていません。

世界を「クソ」呼ばわりしていますが、それでもこの世界で生きるしかないし、「誕生肯定」という究極の目標を手放すわけにいきません。

この世界にも、確実に、美しいものは存在します。それも、数えきれないくらいたくさん存在します。

それを言葉で捕捉したり、絵画として保存したり、音楽として表現したりする人々はいるでしょう。

芸術家の仕事です。

 

それと同じように、お酒と香水には、人生の美しい瞬間を、人間が知覚できる形で保存しよう、再現しよう、とする、それ自体美しさの表現と言えるような精神が宿っています。

私の両親がそうだったように、生真面目な人間は人生の哀歓に酷く鈍感であり、私もそうに違いありませんが、そんな私をも教化啓発しうる「嗜好品」に、「散財」ならぬ「投資」をしている今日この頃です。