サンデ-モーニング朗読会
明日、7月20日
朔太郎「死なない蛸」を朗読いたします♪
前橋文学館 1Fロビー 11時30分から
どうぞ、ふらっとお出かけください。
死なない蛸
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。
もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。
そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、
いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。
そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、
幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。
どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、
彼は自分の足をもいで食つた。
まづその一本を。それから次の一本を。
それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、
今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。
少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。
外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。
曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、
なよなよした海草とが動いてゐた。
そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。
蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。
彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。
古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――
或る物すごい缺乏と不滿をもつた、
人の目に見えない動物が生きて居た。