「『星落ちて、なお』第165回直木賞受賞作
鬼才・河鍋暁斎を父に持った
娘・暁翠の数奇な人生とは――。
父の影に翻弄され、
明治・大正の激動の時代を生き抜いた女絵師の一代記」。
と紹介のある澤田瞳子著。
画鬼といわれる父暁斎。
暁翠(とよ)は5歳の時から画の手ほどきをうける。
その父の圧倒的な画力、
実家が火事にあっても消火をせず、写生し、
親が死に瀕しているその顔を筆にのせる、
そんな師・暁斎は
死してなお強い力で暁翠(とよ)を圧して。
暁翠の描くこと、
表現することへの激しい希求が
迫ってきます。
暁斎の息子、さまざまな弟子、
そのひとり建築家ジョナサン・コンドルなど
多彩な人物群ひとりひとりがくっきりと。
暁斎・暁翠の画を
昨年2020年2月、
高崎タワー美術館で観ました。
そのおりのブログをこちらに
「暁斎×暁翠 父娘で挑んだ画の神髄」
河鍋暁斎(かわなべきょうさい 1831-1881)、
暁翠(きょうすい 1868-1935)を
高崎タワー美術館で観てきました。
激動の幕末から明治維新、そして文明開化という時代、
暁斎のすざまじいまでの描写力、
その作品は圧倒的。その線のみなぎる迫力。
万博、パリでの「第一回日本美術縦覧会」作品を出品し、
国際的な評価も高い。
建築家ジョナサン・コンドルの師。
暁翠はその暁斎を父とし、
5歳の時の絵手本は暁斎みずからのお手製。
女子美術学校(現、女子美術大学)の教師を務め、
女性日本画家の先駆者といえます。
その画風もさすが親娘、似ています。
暁翠がやや端正でしょうか。
みごとな作品群。圧巻です。
不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。残された娘のとよ(暁翠)に対し、腹違いの兄・周三郎は事あるごとに難癖をつけてくる。早くから養子に出されたことを逆恨みしているのかもしれない。
暁斎の死によって、これまで河鍋家の中で辛うじて保たれていた均衡が崩れた。兄はもとより、弟の記六は根無し草のような生活にどっぷりつかり頼りなく、妹のきくは病弱で長くは生きられそうもない。
河鍋一門の行末はとよの双肩にかかっっているのだった――。