長谷川郁夫著『吉田健一』 新潮社 2014年刊
二段組、650ページの大著。
まさにたっぷりとした著作で、
芳醇な時を味わいました。
全編をとおして<吉田さん>という語り口は
懐かしく、慕わしい著者の思いがあふれてくるよう。
吉田健一(よしだ けんいち、1912年4月1日 - 1977年8月3日)は、
英文学の翻訳家、評論家、小説家。
父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、
大久保利通の曾孫にあたる。
父茂の赴任先に同行、
幼少期からパリ、中国などで過ごし、
家では弟とも英語で会話とか。
「文士になる」との決意を秘め、ケンブリッジ大学中退。
河上徹太郎とのうるわしい師弟関係。
英文学、フランス文学を中心とした
ヨーロッパ文学の素養をもとに、
評論や小説を著した。
イギリス文学の翻訳も多数ある。
吉田健一ですぐ思い浮かぶのは
『ヨオロッパの世紀末』『金沢』『舌鼓ところどころ』など。
うねうねと迷宮をたどって、
どこへ向かうのかがみえない、
あの独特な文体。
「中村光夫、福田恆存、大岡昇平、
三島由紀夫らとの鉢ノ木会での交遊――
長い文学修行を経て、批評、随筆、
小説が三位一体となった無比の境地に到達、
豊穣な晩年を過ごした人生の達人・吉田健一の全貌を、
最晩年に編集者として謦咳に接した著者が解き明かす!」
と帯にある。
その誕生から葬儀の日までを
著者・長谷川郁夫は
じつに丹念に文献をたどり、読み込み、
吉田健一を顕彰してゆく
その道程は凄まじい、としかいいようがない。
取り上げる文献の紹介も
書名、年号、著者はもとより、
造本の形状、装丁にもおよぶ。
たとえば『舌鼓ところどころ』では、
四六版・略フランス装で、
カバーは黒とピンク色のツートンカラーに、
踊る女の線描が配されている
(〔SIMADA〕の書名が確認される)。
となる。
文章との引いてくる文献の流れがとてもここちよく、
わかりやすく、うつくしい。
若き日の長谷川郁夫が出てくるのは
十六章あるなかで、終りの二章のみ。
著者はあとがきにこう記す、
「文学は言葉だけで築かれた世界である。
言葉の可能性を確信して、それを極限まで追求した
吉田さんの愚直なまでの努力の跡を辿りたいと、
アナログ的な試みに挑んだのが本書である。
長い間抱き続けてきた夢だった」、と。