エッセイスト・関容子さん、山本掌 句集『月球儀』評! @「現代俳句」10月号 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エッセイスト・関容子さんによる

山本掌 句集『月球儀』の評が

現代俳句協会の「現代俳句」10月号

ブックエリアに掲載されました。

 

 

 

 

 

 

 




関容子さんは聞書きの名手、

詩人・堀口大學への『日本の鶯』で日本エッセイスト・クラブ賞、

『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞され、

『勘三郎伝説』『中村勘三郎楽屋ばなし』『花の脇役』などなど、

数多くの著作をお持ちです。

関容子さんのお許しをいただいて、こちらに。

 

 


句集『月球儀』 山本掌

    月光一閃の言葉たち         関容子


  掌に釘ゴルゴダのイエスのごと二月

  てのひらの有刺鉄線春の雨


 掌さんの自身の名に、釘と有刺鉄線。なんと痛ましい。



  右手(めて)に虚無左手(ゆんで)に傷痕花ミモザ

  われ眠る月の柩に仰臥せり



 青白い月光の中に静かに沈潜する世界の住人と思いきや、

 

一変して、

  炙られて妬心炎(ほ)となり蛇(じゃ)となりぬ

  薄墨桜ひと殺めたき真昼あり



 と、内に秘めたマグマのように赤黒く燃えさかる人でもある。



  落ち度なき美童打擲花の塵

  花衣ほころぶ美童の頸を絞め



 迂回し、旋回する美意識。

ここらがその師、金子兜太氏の言われる

 

「常識とは異なる、奇妙な現実執着者(しゅうじゃくしゃ)」

 

 

の由縁だろうか。


 ところで、掌さんのブログの自己紹介には

 

「俳句を書くメゾソプラノ」とある。

 オペラのメゾソプラノの役どころと言えば

 

『アイーダ』のアムネリスにしても、

『ドン・カルロ』のエボリ公女にしても、

 

それぞれ美人で身分も高いのに、

美男役のテノールの心を勝ち取るのは決まって

ソプラノのアイーダであり、エリザベッタである。

 だからメゾソプラノの歌うアリアは、

深い悲しみに満ちていたかと思うと、

めらめらと嫉妬の焔(ほむら)を燃え上がらせ、

いつかまた自己嫌悪に沈んで行く。

そして通奏低音のように、いつもそこに死の姿がある。

つまり複雑に屈折していて、

 

味わいが濃く、聴き応えがある。

 掌さんの句の世界はまさにメゾの歌うアリア。

サラサラと聴き流すことができず、

さまざまな心の動きが凝縮され、

 

からみあっていて、

そこがこれまでによくあるおだやかで

 

心地よい句集の読後感とは

まったく一線を画すところだと思う。


 掌さんの毒にあてられ、少し息苦しくなってきたところ、

こんな洒落た句に出会うとほっとする。

 

漱石先生が好みそう。


 春眠の漬もの石の猫である



 また、優雅で物哀しい感覚が顕著な句は

太宰の『斜陽』の世界を思わせる。

  藤むらさき午後のすうぷは白孔雀



そしてまた本領発揮の、

  わたくしを此の世に誘う黒揚羽

あの世ではないところがユニークで、

もっと怖くて美しく、

 

まるで鏡花の『天守物語』。

海老蔵黒揚羽の図書之助に誘われて、

この世に甦る玉三郎の天守夫人か。


 さて、終わりに私の最も好きな一句は、

  蝶となる耳もありけりうすみどり

なんと官能的で平和で爽やかな景色であることか。

それでいて、やっぱり幽明の境が曖昧な

山本掌の俳句世界が確立している。
 

 

  月に触れわがみのうちのもの激つ

山本掌は、月光の中に身を置くとき、

何かを言葉で一閃せずにはいられない激情にかられる。

前世はかぐやか・・・・・・。