安西篤ー萩原朔太郎の俳句ー 「月球儀」の紹介 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。



月球儀6号




安西篤(海程会会長・現代俳句協会副会長)さんが、
山本掌の個人誌「月球儀」6号の紹介を
熊本の俳誌「霏霏」に寄稿され、その全文をこちらに。



朔太郎




「霏霏」特別寄稿
    
    萩原朔太郎の俳句
 

                           安西篤
 

文人俳句と呼ばれる俳句がある。
特にはっきりした系譜や集団があるわけではないが、
一般に俳句を専門としない文筆家の俳句を指し、
どちらかといえば俳句は余技、趣味とみなされる。

ところが明治以降の文人たちには、
小説の他に、漢詩、短歌、俳句など
多彩なジャンルでも専門家を凌ぐ領域に達していたものが多い。
ここで取り上げる萩原朔太郎もその一人で、
決して句数は多くないが珠玉の句を残している。

 最近、海程の同人で二期会の歌手でもある山本掌が、
個人誌「月球儀」六号において朔太郎の俳句を紹介している。
出所は『萩原朔太郎全集』第三巻からの全二十九句。
雑誌掲載順となっているが、重複発表もあるので、
実質二十二句ということになる。
残された俳句は十七句というのが定説だったが、
全集ではかなり博捜したものと見える。

 その中で、詩人で俳句にも造詣の深い評論家清水哲男氏の、
朔太郎俳句三句の鑑賞文がサイト「増殖する俳句歳時記」から転載されている。
取り上げられているのは、次の三句

 
  人間に火星近づく暑さかな
  
  コスモスや海少し見ゆる邸道
  
  藪蔭や蔦もからまぬ唐辛子


 さすがに選句眼はたしかだ。
「人間に」の宇宙的視角からの季節感、
「コスモス」の印象派風の絵画性、
「藪蔭」の隠遁志向など、その指摘は鋭い。

他にも次のような秀句がある。

  
  加茂を出る忍び車や朧の夜
  
  冬日暮れぬ思い起こせや岩に牡蠣
  
  虹立つや人馬にぎはふ空の上


「加茂を出る」は王朝風の物語性。「朧夜」の前書きがある。
作者の古典的美意識を作品化したもの。

「冬日暮れぬ」には、「我が心また新しく泣かんとす」
という感傷的とも見える前書きがある。
こんな前書きはなくともよい句だが、
作者としては書かずにいられない気持ちがあったのだろう。
詩集『氷島』の自序にもあるように、
「魂を切り裂く氷島の風が鳴り叫んで」いたのかもしれない。
だが「岩に牡蠣」という俳諧的結句が、
どっこい生きている風の生への執念ともみられなくはない。
作者の意図を俳句形式が裏切ったともいえよう。

「虹立つや」には、「わが幻想の都市は空にあり」の前書きがある。
これは前書き通り、虹の向こうに理想都市を夢見ている。
俳人はこういう句は書かないが、
朔太郎は自分の心の世界を忠実に書こうとした。
いちいち前書きをつけているあたりも、俳人には馴染まないが、
十七音の制約の中での読みの自由度を、
詩人としては不安視したのかもしれない。

 朔太郎は、文人俳句を芥川龍之介を例にとって、
「末梢神経的趣味性」「文学ヂレッタンチズム」とこき下ろし、
ポエジーとしての本質性がないとしている。
その当否は今は置くとして、朔太郎自身は、
おのれの詩と同様の本質性を志向していたとはいえよう。






◆安西 篤〈あんざい・あつし〉 俳人。昭和7年三重県生れ。

昭和32年、見学玄、梅田桑弧の知遇を得て、俳誌『胴』同人。
昭和37年、海程創刊の年に入会、同人。以後金子兜太に師事。
平成3年海程賞受賞。平成26年現代俳句協会賞受賞。
海程会会長。現代俳句協会企画部長、幹事長を経て、現在副会長。
国際俳句交流協会副会長。

句集『多摩蘭坂』『秋情(ごころ)』『秋の道(タオ)』、
評論『秀句の条件』『金子兜太』。共著『現代の俳人101』等