長谷川郁夫「吉田健一」 @本の紹介 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。


吉田健一





長谷川郁夫著「吉田健一」、
読み了える(!?)

二段組、650ページの大著。

まさにたっぷりとした著作、
豊饒な時を味わった。


吉田健一(よしだ けんいち、1912年4月1日 - 1977年8月3日)は、
英文学の翻訳家、評論家、小説家。
父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、
大久保利通の曾孫にあたる。

父茂の赴任先に同行、幼少期からパリ、中国などで過ごし、
家では弟とも英語で会話とか。
「文士になる」との決意を秘め、ケンブリッジ大学中退。

河上徹太郎との美しい師弟関係。
英文学、フランス文学を中心としたヨーロッパ文学の素養をもとに、
評論や小説を著した。
イギリス文学の翻訳も多数ある。

「中村光夫、福田恆存、大岡昇平、三島由紀夫らとの
鉢ノ木会での交遊――

長い文学修行を経て、批評、随筆、小説が三位一体となった
無比の境地に到達、
豊穣な晩年を過ごした人生の達人・吉田健一の全貌を、
最晩年に編集者として謦咳に接した著者が解き明かす!」

と帯にある。

その誕生から葬儀の日までを著者・長谷川郁夫は
じつに丹念に資料・文献をたどり、読み込み、
吉田健一を顕彰してゆく。

取り上げる文献の紹介も書名、年号、著者はもとより、
造本の形状、装丁にもおよぶ。
たとえば「舌鼓ところどころ」では、

  四六版・略フランス装で、カバーは黒とピンク色のツートンカラーに、
 踊る女の線描が配されている(〔SIMADA〕の書名が確認される)。

となる。

文章との引いてくる資料・文献の流れがとてもよく、
わかりやすく、うつくしい。

若き日の長谷川郁夫が出てくるのは
十六章あるなかで、終りの二章のみ。

あとがきに
「文学は言葉だけで築かれた世界である。
言葉の可能性を確信して、それを極限まで追求した
吉田さんの愚直なまでの努力の跡を辿りたいと、
アナログ的な試みに挑んだのが本書である。
長い間抱き続けてきた夢だった」。


長谷川郁夫著 「吉田健一」 新潮社 2014年刊




●長谷川郁夫は著書を表記するときに、
『』でなく「」を使うので、
ここでは「吉田健一」とした。

長谷川郁夫にならって、
「長谷川さん」はすべて原稿は<手書き>。
この作品だと2・3000枚はあるのかも・・・




◆長谷川 郁夫(はせがわ いくお、1947年 - )
日本の文芸編集者、評論家、大阪芸術大学教授、元小澤書店社長。


神奈川県生まれ。
早稲田大学文学部在学中に小澤書店を創立、
2000年まで約六百数十点の文芸書の編集・制作に携わった。
2007年より大阪芸術大学教授、文学部文芸学科長。

出版活動を行っていた時期から吉田健一、
堀口大學、青山二郎(単行本未刊)など、
交流のあった作家の回想・評論も様々な場で発表しており、
『美酒と革嚢-第一書房・長谷川巳之吉』(2006年刊)で
芸術選奨文部科学大臣賞、やまなし文学賞受賞、
『吉田健一』(2014年刊)で大佛次郎賞受賞。

●著書
『われ発見せり 書肆ユリイカ・伊達得夫』 書肆山田、1992
『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』 河出書房新社、2006.8
『藝文往来』 平凡社、2007.2 作家たちとの交流・回想記

『本の背表紙』 河出書房新社、2007.12 回想を交えた作家たちの肖像

『堀口大學 詩は一生の長い道』 河出書房新社、2009.11
 「三田文學」に長期間連載した。冒頭の回想を交え、終戦までの前半生を描く。

『知命と成熟 13のレクイエム』 白水社、2013.11
  深い交流があった作家・評論家13名の「偏愛的作家論」。

『吉田健一』 新潮社、2014.9 「新潮」に連載、
  膨大な資料をもとに生涯と作品の全容を明らかにした評伝の大著。