前橋駅 @まえばし散歩11 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。


前の前橋駅



前橋駅、両毛(りょうもう)線の駅。
いまの駅になる前の木造の駅舎の写真を
見つけ、とてもとても懐かしくなって。

駅舎の前はブロンズの少女像を囲み、
噴水があって、冬でもほとばしる水を見に行ったりした。
その周りのベンチで時間待ちの友人と
おしゃべりをしたことも度々。


いまはフツーのバスターミナル。
シャーター街への入り口(笑)。

現・前橋駅



前橋駅の歴史はこちら。ウキより

東京から伸びてきた日本鉄道の路線は、
1884年(明治17年)8月20日に利根川西岸の前橋駅まで到達した。
これは現在の前橋駅とは異なり、
現・前橋市石倉町付近の位置である。
所在地に石碑があり、内藤分ステーション跡と刻まれている。
前橋市街とは利根川によって隔てられていたため、
利根川への架橋が計画された。

日本鉄道小山駅から延伸された両毛鉄道は
1889年(明治22年)11月20日に利根川東岸の現・前橋駅まで開業、
翌12月には利根川に橋梁が開通して、
日本鉄道も両毛鉄道前橋駅まで乗り入れた。
東京方面からの直通列車も運転され、
県都である前橋市の玄関口としての役割を果たしてきた。
駅舎は長らく北口のみであった。

1927年(昭和2年)に建設された洋風木造建築の先代駅舎は、
この当時に両毛線主要駅で建設された同傾向の
駅舎の中でも代表的なものであり、
美しい名駅舎として親しまれたが
両毛線高架化事業によって取り壊され、
1986年(昭和61年)10月16日、
現在の高架駅舎を使用開始した。