閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉
(しづか)
<なんという閑さであろう。
さながら岩にしみ入るかのような蝉の声は、
私を切ないほどの清澄な心境に引き入れていく>
立石寺の清閑・寂寞と、それに接しての芭蕉の清澄の心境。
その外界の実況と胸奥の心境のとの二者を、
一句に集約するに、蝉の声をもってした。
「岩にしみ入る」とは単なる実況の描写ではなくて、
芭蕉の心象である。
この句に象徴される閑寂の境地は、
尿前(しとまえ)の関の苦難から尾羽沢の安息を経て
到達した一つの極点で、
連句的な運びは巧妙を」極める。
新潮個展集成「芭蕉文集」より
この句、旧暦5月27日、新暦7月13日、
大石田にて。