悟りといえば釈迦ですが、

果たして釈迦は、何を悟ったのでしょう。


たぶん、諸法無我・諸行無常だと思います。

すべては常に変化しており、そして全てはつながっており、主体として存在しうるものはないということだと思います。

つまり、自我は実在ではないということを悟ったわけです。

実在でないということは、身体の記憶情報から作り出された、概念の一つに過ぎないという事です。

身体の死とともに、すべては消えてしまう情報です。
それゆえ、人々は外部に情報を残すことを考えてきました。

生きた証は情報として残り、受け継がれて来ました。


釈迦が生きた時代にも、輪廻転生などの思想があり、それが逆に苦しみを生み出す原因でもありました。


正しく考えれば、それは嘘であることが判ると釈迦は言いました。


正しく考えることが大事だと・・・・


霊魂、意識の元が永遠に存在するのは創作にすぎません。


意識は、身体が、記憶を参照しているときに起こるものです。
常時存在するものなら、寝ているときにも意識がなければいけません。

何らかの刺激が記憶を呼び起こすしたときに生じるのが意識です。


一部のスピリチュアリストが言うように、意識は五次元に存在し、そこから投影しているのが現実の世界であり、私たちはスクリーンに写ったものを見ているというのは、全くの妄想です。

パソコンを破壊してしまえば、外部にコピーして残さないかぎり、パソコンとともに消失します。

あなたの考えも、心も何らかの形で外部に残さなければ肉体の消滅とともに消え去ります。


私たちは、言葉を持つことによって、身体として物理空間に、身体の反応として情報空間に生きています。


ふたつの空間の存在を認識したのが釈迦の悟りではなかったのではないでしょうか。