目覚めると・・

そのまどろみの中で、自分の身体の調子などを観察します。

疲れがとれているるかどうかとか・・

そして、生きている自分を観察している自分を意識します。


その意識している自分は、何をしているかというと・・・
その意識は何かというと・・・

意識とは観察であり、観察は思考によって行われる。
思考できなければ、そのような意識は生まれない。


思考とは、ある記憶とある記憶を照らし合わせることであり、そこに意味を見出そうとすることだ。

意識とはそこに観察があり、思考がある。
経験がなければ思考ができない。

生きて、経験を持たなければ、思考の材料である記憶は蓄積されない。

よって、意識は身体の機能であり、身体を離れて独立して存在するものではない。

今日も目覚めた時点で意識が生まれ、まだ生きていることを確認しました。

それにしても不思議です。
不思議とは、文字からいうと、たぶん、考えないほうが正しいという意味でしょう。

考えても絶対にわからない事で、この明確に存在している意識が・・・
そして、その意識が死とともになくなるということが・・・

そして、考えても答えのないどうしようもないこと。

その存在の不思議。

生まれて、生きて、死ぬだけなのに、意識というし高機能はそれを問題にしようする。

その、不毛な思考を止めるためのマントラが不思議ということばか?

そこに踏み込もうとしたときに、止める言葉が不思議か?
不思議という言葉でなくても、どんなマントラでも良いと思う。

南無~でも、なんでも。
答えの出ない思考の苦しみは避けたいものだ。


今日の目覚め時にひらめいたのはそんなことでした。