スピリチュアルとか精神世界とか言いますが、物理空間から独立して独立する次元などありません。

もともと、次元とは物を測る物差しにすぎません。


時間は4次元と呼ばれますが、これも回数から割り出されたものです。
それが可能だったのは、定期的に太陽が地球の周りを回っていたからです。

その回数を数えることから時間の観念が生まれました。
確かに、一部のスピリチュアリストが主張するように、時間など存在しないのです。

にもかかわらず、スピリチュアルリストたちは、アプリオリに意識が五次元に存在していて物理空間として存在して見えるものはイリュージョンであると主張したりします。一方で、物理空間を肯定し、一方で物理空間を否定しているわけですから、これは矛盾です。

確実に存在するのは、物理空間です。
時間や意識はものを見るものさしのようなものです。


この物差しが存在する意識の世界を情報空間と言います。
物理空間が存在しなけれ、情報空間も存在しません。


この情報空間は、記憶の世界であり、思考の世界です。
思考とは情報処理のことです。

物理空間に存在する私たちの身体の中にこれらの機能が存在しています。

問題がない世界なんて存在しません。
最近、あるスピリチュアルりーダーのブログに訪れたら、最近の記事に脱・スピ宣言というタイトルの記事がありました。

この記事を書こうとした理由です。

物理空間は確かな存在。
情報空間は、そのソフトとしての存在です。


言葉を持っている人間は、情報空間という次元にも住んでいます。
正しく思考すれば、正しい結果がでるはずです。


正しい思考で、正しく現実に立ち向かってゆくことを、お釈迦様は説いているのではないでしょうか。


お釈迦さまの考えかたが、スピリチュアルリストたちによって、間違って、引用利用されていたことが気になっていたのも、この記事を書こうとした理由でもあります。