フロイドが無意識をカテゴライズするまで、誰も無意識のことは考えず、無意識の存在は別の形で語られ続けてきました。

言葉がなければ・・・それが主語として語られなければ、存在しないのと同じである。

しかし、その存在は、無かったのではなく、別の形で語らててきたのである。
そして、今でもそのままの形で語られ続けています。

それは、宗教が問題としてきた主題である。

また、現在では無意識のことを、潜在意識とも言う様になりました。
潜在意識が宗教のテーマであります。

そして、それを語るための、登場人物が神や悪魔でした。


そこで問題にしているのは、「意識」である。


意識はフロイドによって、「意識」と「無意識」に分けられた。

意識には意識できる意識と意識できない意識があるということである。

意識は氷山に喩えられ、私たちの意識できる意識は氷山の一角のようにわずかな部分にすぎません。


私たちが、私たち自身として意識できるのは、この氷山の一角だけであります。

私たちの隠れた意識を私たちは知ることができません。
私たちは本当の私達の全体を知ることができないのです。


私たちが私たち自身と信じているものは、単なる虚構であり物語にすぎません。

ゆえに、私たちは、その物語を書き換えることによって、自由に自分自身を書き換えることができるのです。


そして、無意識の意識が私たちのすべてのことを支えてくれているのです。
そう考えると、私達を支えている無意識の意識のことを神と呼んで来たことを理解することができると思います。

私たちの見えない心の奥底には神が住んでいるのです。