身体と心と反対の対立物のように扱われていますが・・・。

心は本当に肉体が存在するように具体的に存在するものなのでしょうか?

よく考えてみれば、心は肉体の働きの一つでしかないことが分かると思います。

ですから、心は筋肉のように鍛えたりすることはできません。

それでは、心を強くしてとか、鍛えてとかいうことは、どういうことを言っているのでしょうか。


たぶん、これは、しっかりした考えをしたり、ネガティブなことを考えないような習慣をつけると言う意味だと思います。


つまり、心というものが存在していて、それが思考という働きをしているのではなく、思考の働きそのものが心と言うことだと思います。。


そして思考とは、過去の記憶情報を呼び起こし、参照したり、つなげたりして、意味を見出すことだと思います。

私たちが現在と意識していることは、五感を通して、脳に到達して認識される時点でタイムラグがあり、すでに過去の出来事であると考えると、思考は過去の記憶情報を参照したり、共通点を見つけてつなげたり、あるいは差異を見つけて分類したりして意味を見出すことであると定義しても間違いではないように思います。

心とは思考です。

どういう心かということは、どういう思考を持っているかと言うことです。

つまりどういう考え方を持っているかと言うことが「心」です。

思考は言語によって行われ、すでにいろんな考え方が存在しています。

普通は、その既存の考え方を取り入れて、思考しています。

自分の心と考えている心の正体が実は、すべて外から取り入れた思考からできているわけです。
ですから、自分固有の心というものは存在しないと言うことです。

自分固有の心が存在しないと言うことは、自分固有の魂も存在しないことになります。

ましてや、肉体を離れた意識が永遠に存在するというニューエイジ思想の期待は幻想似すぎないと言うことになります。

心は、思考であり、言葉が道具であるように、心も肉体の機能という道具であり、心の問題は思考の問題です。

もし、精神的に病んでいるとしたら、それは考え方に問題があると言うことです。


正しく考えること、それが全ての問題の処方箋になると思います。