あなたは、あなた自身について、他人からこう思われたいとか、こう観られたいとかありますか?

私はいつのまにか、それがなくなりました。

なぜかと言うと、私自身が相対的な存在で、人間関係によって見え方が異なると思うからです。

これだという自分など存在しないと思わざるおえません。

思考、つまり物の見方を変えれば、見え方は変わってきてしまいます。

Aさんに見えている、あなた。Bさんに見えているあなた。Cさんに見えているあなたは、それぞれ違います。

同じ形の人間関係の人はいないし、同じ思考をもった人はいないからです。

誰も本当のあなたを知らないし、あなたを知っている人の数だけ、あなたがいます。

そして、あなた自身が考えているあなた自身も・・・

どれがあなたでしょう?


全部、あなたと言えばあなたです。


瞬間瞬間、関係性は変わっていて、あなたは変わり続けています


あなたが思考を変えただけで、あなたは変わってゆきます。
なにが、あなたかといえば、あなたが蓄えてきた思考そのものがあなた自身といえるかもしれません。


潜在意識の中の信念を含めた、あなたが持っている思考の全体を、あなた自身も知らないし、誰も知ることができません。


お互い、自分の考え方の範囲でしか、お互いを知ることができません。


そのために私たちの本質があるわけではなく、相対的な存在です。


思考を変えることによって、変わって行く相対的な存在です。


ある意味、これが思考を変えることによって、私たちが私たち自身を変えてゆくことができる可能性を持っています。


対象となるような、固定した自分がいない以上、私たちは無我の存在とも言えます。

仏教で言う無我とは、そういう意味ではないでしょうか。


人に、こう思われたいとか考えると不自由です。
自分が自分と考えている存在は単なる空想の産物です。


現在見ている自分は思考が作り出した一つの鑑賞の対象です。


観られるということから自由になって、自由に自分を描き出すというのはどうでしょうか?