前回の記事で、ルイーズ・ヘイさんの「自分を愛する」ことの定義を紹介しました。
「自分自身を決して批判しないこと」でした。
自分を愛している実感があると、それを表すために、いろんな表現ができると思います。
「自分を愛せている状態」は身体で言うと、健康な状態に当たります。
健康なときは、身体のことは意識しません。
身体に不具合が生じて初めて身体の存在を認識します。
ですから、「自分を愛しているや、自分を愛していないと問題になるのは、心が病んでいるときか、心の病を経験した人の問題となります。
そんなこと意識しなくても「幸せ」であれば問題はありません。
心で言う「幸せ」は、身体で言う「健康」です。
幸せを願うということは、心が健康であることを望んでいることです。
ということは、何がなくとも、心が健康であれば、幸せであるということになります。
心とは何かというと、心とは思考です。
心が健康であるということは、正しい思考ができるということです。
それは正しい行動によって証明されます。
どうやら、正しく考え、正しく行動することが幸せの秘訣のようです。
これこそ、釈迦が悟ったことです。
本当は、今日は、今書いたことと違うことを書こうと考えていたいのですが、書いているうちに、こんな結論が出てきてしまいました。
悪くはない結論だとは思いますが・・・
ブラインドタッチで無意識ににタイピングしている、無意識活性化の状態は、思いもよらない音が浮かんできます。
今回、言おうとしていたことは、また別の機会に書いてみることになると思います。
「自分自身を決して批判しないこと」でした。
自分を愛している実感があると、それを表すために、いろんな表現ができると思います。
「自分を愛せている状態」は身体で言うと、健康な状態に当たります。
健康なときは、身体のことは意識しません。
身体に不具合が生じて初めて身体の存在を認識します。
ですから、「自分を愛しているや、自分を愛していないと問題になるのは、心が病んでいるときか、心の病を経験した人の問題となります。
そんなこと意識しなくても「幸せ」であれば問題はありません。
心で言う「幸せ」は、身体で言う「健康」です。
幸せを願うということは、心が健康であることを望んでいることです。
ということは、何がなくとも、心が健康であれば、幸せであるということになります。
心とは何かというと、心とは思考です。
心が健康であるということは、正しい思考ができるということです。
それは正しい行動によって証明されます。
どうやら、正しく考え、正しく行動することが幸せの秘訣のようです。
これこそ、釈迦が悟ったことです。
本当は、今日は、今書いたことと違うことを書こうと考えていたいのですが、書いているうちに、こんな結論が出てきてしまいました。
悪くはない結論だとは思いますが・・・
ブラインドタッチで無意識ににタイピングしている、無意識活性化の状態は、思いもよらない音が浮かんできます。
今回、言おうとしていたことは、また別の機会に書いてみることになると思います。