私達が眠っている時には『意識』がありません。

眠っていても、夢を見ていて、その夢を意識するときがあります。

その時は、意識があります。

あなたが、『今ここ』に存在していても、眠っておれば意識がありません。


夢は記憶の断片や、それを歪曲したものを見ているのです。


記憶の映像やイメージ、それを適宜合成して、外界からの入力を解釈しているわけです。


実際に起こっている現実をそのまま見ているわけではありません。

過去の蓄えられた情報によって再構築されたのが私達の見ている現実です。

再構築する時に使われるのが思考です。

考え方の違いによって、現実の見え方が変わって来ます。

私達は、心の中に記憶された映像やイメージを投企して、それを現実としてみています。


頭の中にあるものを観念と言います。

『念』は『今の心』と書きます。

漢字って意味深で面白いですね。

私達は観念に気づいたときに観念を見ます。
記憶の海の中から呼び起こされます。

心は意識ですから、眠っている時にはありません。

記憶の海の中から、何かが呼び起こされて意識したときに心が認識されます。

観念が呼び起こされた時、心が浮上し、その観念を観ます。

『今』、『心』が、『観ているの』のが観念であり、、観ていない時には、その存在が忘れられているものです。


それらは身体に宿っている機能です。
だから身体なくして心は存在しません。


勿論、『意識』は『心』ですから、身体なくして意識は存在しません。
意識は記憶の働きがあって始めて生まれます。

記憶の働きを持つのが身体ですから、もし霊魂が意識だとしたら、輪廻転生は否定されるべきものです。

私もこんな感じで文章を書いていると、ある程度、ヒラメキで書いていますが、その間、思考もしていますので、疲れます。

意識が独立して存在しているとしたら、疲れるなんてことはおかしいです。

成功哲学でも、疲れ対策や健康管理をしないと失敗します。
ポジティブシンキングだけではダメなんです。

継続と幅広い管理能力も身につけなければならない所以です。


漢字は意味深ですね。

外国の人が漢字を覚えるときにこう考えるそうです。

『親』という感じです。

『木』の上に『立って』『見る人』

何をみるかって?

子供の後姿です。


ついて行きたいくらいの気持ちなんでしょうね。