『鰯の頭も信心から』

鰯の頭という、取るにたらないものでも、もし信仰の対象となれば有り難いもののように思われてしまうようになるという意味の諺です。

人間と信念、あるいは狂信の関係は不思議です。


信念には、人を巻き込む不思議な力があります。


どんな間違った信仰対象でも、人々が巻き込まれ仲間が増えると、その力はなお大きくなります。
狂信とは共振を起こすとも言えます。


宗教とは、これを利用したビジネスです。


お金がないと組織は回りませんからね。


大事なお金をお布施する行為が、なお狂信を強化します。
人間は損をしたとは思いたくないですからね。


良い意味でも、悪い意味でも信念や強信がなければ成功は不可能です。


セールスマンが自分の売っている商品に価値を見出していなければ売れることはありません。


また、たとえ粗悪な商品であっても、信じる熱情が人を動かして売れてしまうこともあるのです。





宗教も狂信や熱情によって伝わり広まります。


『信ずれば』対象は何でもよいわけです。


狂信と情熱が人々を動かしてゆきます。


語っている内容より、語っている人の情熱が人を動かします。


自信と情熱を持った人についてゆく・・・・
これは人間の本能かもしれません。


生まれたばかりの動物の赤ちゃんが、最初に見た動くものを親と思ってついてゆく本能のようなものかもしれません。



そういうわけで『刷り込み』が起こる瞬間があります。
胡散臭いと思いながら巻き込まれてしまうかもしれません。


胡散臭いほど、もしそれが本当ならと思うと引き込まれます。


対象は何でもいいんです。


宇宙人と交信していると言っても・・・

霊界が在るといっても・・・

ウパニシャッド哲学の焼き写し教義を語っても・・・

もちろん、鰯の頭を信仰の対象にしてもです。



私たちは、内容よりも、情熱や、繰り返し刷り込まれることによってコントロールされてしまうので要注意です。


刷り込まれたものと、自分の判断を取り違えてはいないでしょうか?