初めに言葉ありき


私たちの顕在意識は言葉があることによって生まれました。


顕在意識とは、私たちが普通『意識』と呼んでいるものです。


この意識のおかげで、自他を区別したり、環境と自分を区別して自意識を持つことができます。


この意識は言葉が存在しなければ、存在できません。


なぜなら、意識とは言葉による思考のことだからです。

何かを認識するためには言葉が必要です。
言葉によって、自他や自分と環境の間に、あるいは物と物のあいだに境界を設定し、それらを照らし合わせることによって認識しているからです。


意識の内容と意識は同時に生まれました。


意識の内容がなければ意識はありません。


観察する内容と、観察者は一体のものです。
観察する内容がなければ観察者である意識も存在しません。


観察する内容とは、言葉による思考です。


観察する内容が苦悩である場合があります。
あるとき、観察する内容と、観察者がいることに気付くことがあります。

もともとある仕組みに気づいただけです。
言葉が作り出す世界と、それを認識する意識です。

初めに言葉がなければ、これはなりたちません。

永遠の魂や、意識体があるわけではありません。


魂や心の正体は、思考です。


祖先から受け継いだ言葉や思考が私たちの魂や心です。


そして私たちの魂や心は過去に生きたたくさんの人の言葉や思考の寄せ集めによって出来ています。
私であって、私独自の魂や心ではないわけです。


狂信とはとは恐ろしいもので、その信じる熱意は人をひきつけます。


魂や心というものは今言ったようなもので、神の存在があるとしても人格神がいるのというのはつじつまがあいません。


自分は永遠の意識たいと信じるのも良いでしょう。神様の存在を信じるのもいいでしょう。
でも、それらはソフトウェアであって、アートや道具として使う方が良いと思います。


ここまで科学が発達した今は、もう戦争ばかりしている宗教はいらないでしょう。


アインシュタインが言っている宇宙宗教の必要性。それはブッダもいっている正しい思考ではないでしょうか。